「ほっ」と。キャンペーン

わすれない 東日本大震災

・・・・・・を見て

心臓がバクバク
涙がボロボロ
あの時抱えていた沢山の恐怖と悲さが
いっぱい溢れ返して

仙台から新幹線通勤の同僚を連れて
真っ暗闇の仙台から逃げる道のり

通行止めもあったよね
コンビニがみんなまっくらで
すごい行列になってたよね

倉庫の中にあるお水をかごに入れて
レジでお金を払おうとしていたら

倉庫から持ち出している姿が
緊急事態をますますリアルにして
娘が泣いちゃったよね

仙台から何キロも娘さんと歩いてきたっていう
福島から仙台に遊びにきていたと言う人が
帰る手段が全くなくて
冷えきって、憔悴しきって話しかけてきたよね

一緒に車に乗って、福島に送ってった

福島はあちこち通行止めで
昔住民だった私は、山の中の裏道を駆使して
突破したよね

真っ暗だった
楽しい曲かけてって、娘が言ってた

電気だけがかろうじて通っている郡山に夜中についたけど
怖くて女子だけではとても家に入れなくて
会社の営業所に男子がみんな帰れなくて居るって聞いたから

そこに行って娘と私と同僚と3人、他の男子同僚と一緒に
一晩過ごしたよね

いつまでたっても、沿岸部を営業していた同僚二人と
連絡がつかずに恐怖におびえてた

テレビはワンセグしか見れなくて
何回も何回も何回も何回も
止めどなく発信される「緊急地震速報」の音
そして、考えた事もない様な余震、終わらない余震
水が止まって流れないトイレ

家族が宮城県にいるのに通行止めで一旦戻ってきて
帰れない同僚に裏道を教えたり

気仙沼が大火事になって、荒浜に死体が何百体もあがっている事なんかも
停電だった仙台から来て、初めて知ったよね

家の中はぐちゃぐちゃで、冷蔵庫も娘の机もひっくり返って
ピアノも倒れていて
でもテレビは設置方向が良くてうまくがんばってくれていて

でも、窓ガラスが割れていて
お風呂釜は外れて飛び出していて
沢山の食器が割れていて

次の日から旅行に行く予定だったから、沢山の荷造りされた
カバンがあったけど、

全部出して、

水や缶切り、電池、下着、暖かい服、缶詰、

ものすごい余震の中で、吹雪の中で、
もう暗くて部屋の照明がないから、懐中電灯で照らして
家の中、靴で入って

近所の人が、娘さん、学校に居て待ってたんだね
良かった、家にいて、何かの下敷きになっているんじゃないかって
みんなで大きな声で名前を呼び続けていたって聞いたりして

そして毛布を何枚も持って、
お金を持って、
課長が地震直後に買ってくれたコンビニのお弁当やお菓子を持って

娘の学校に行ったら、もの凄いもの凄い数の人で
まっくらで、何もかも行列になっていて
私の同僚は郡山に居る息子さんと旦那さんを思って慌てていて

携帯はつながらなくて
学校にお願いして公衆電話を借りて
みんな無事だと聞いたけど、旦那さんの実家のお父さんに迎えに来てもらって
3人でそっちに避難していると聞いて
郡山は電気が通っているときいて

慌てて彼女と3人で夜仙台を飛び出した

今度は原発が爆発して、
また爆発して、
そしてまた爆発して

すごい、死んじゃうと思った。
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by eremiya2002 | 2011-12-31 02:32 | 娘17歳 母子家庭