カテゴリ:クリスチャンとしての私( 6 )

真理は人を自由にする

@国立国会図書館法の前文(の一部)

「国立国会図書館は、真理がわれらを自由にするという確信に立って、
憲法の誓約する日本の民主化と世界平和とに寄与することを使命として、ここに設立される。」

@ヨハネ8章31節〜32節
そこでイエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。
「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。」
「そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなた方を自由にします」
[PR]

by eremiya2002 | 2013-05-02 22:28 | クリスチャンとしての私

Mission

私の使命

それは人助け

ひとつの活動にフォーカスしないよ

でも

深い問題に必ず手をつける

それには

私が社会人として力をつけ

娘を育て上げることがまず大事な仕事と思ってる

その後、その仕事を全うしたら

それから

私は始めて使命を実行に移そうと思ってる

たくさんの試練を乗り越えて

実績と実力を持って

36歳にしてはっきりと見えてきた、自分の使命

AAの方法にすっかり依存するわけでもなく

教会の伝道方針に従うわけでもなく

私と神様との間にある契約



私はどこにも縛られないで、神様と一緒に進もう

私の考えでは進まないよ
[PR]

by eremiya2002 | 2010-10-11 21:44 | クリスチャンとしての私

ハレルヤ!

ハレルヤ!

すばらしい、主の御業

私は心から神様に感謝します。
[PR]

by eremiya2002 | 2010-10-02 10:55 | クリスチャンとしての私

だから結婚なんてもういいや

だから、結婚なんて考えるのもうやめ。

諦めたんとちゃいます。

ゼーッタイ神様、私に(結婚については)ノープランと感じたっていうの。

「オレがいるだろ」
(ってイエス様はいわないと思いますが)

結局そういうこった。

じたばたするのヤメ。

人生を使えという事だ。

小さなプランじゃないって事。

マザーテレサも、すっごい男らしいモンね、生き方が。



ハー、覚悟するかぁ~

と思いましたよ、さすがに。
[PR]

by eremiya2002 | 2010-09-12 23:31 | クリスチャンとしての私

信じて生きるって何だろう?

最近、他のブロガーさんにもコメさせて頂いたのですが、
家族の信仰について思わされています。

私はクリスチャンになって約7年です。
始めて教会に足を運ぶ様になったのは19の頃だったので
そこから数えるともう・・・・アハハ、ですが、

AA時代に信仰の世界がやはり間違いないと確信して
5年程AAで徹底的に過ごして

その後、今でこそわかりますけれども、自助Gは激しい洗脳もついて回るので
その洗脳部分を解いてクリスチャン生活へ改めてスタートし直したですが、

信仰の世界・・・私にとってはキリスト教を心に落とし込むことが出来てからは
早10年な訳です。

娘は一緒に教会に通うようになり、自分にも回復のプログラムが適用され
「信じて生きる事」を現在は当然の様に日々に取り入れていると思われますが
(とはいえ、サポートがこのereなので、超現実主義の熱いクリスチャンです・・・)

「信じて生きる事 つづき」
[PR]

by eremiya2002 | 2010-05-30 07:12 | クリスチャンとしての私

痛み傷つき複雑になった世に出てもなお、私は神を信じられるか

「痛み傷つき複雑になった世に出てもなお、私は神を信じられるか」

久し振りに、以前リンクをはらせて頂いていたブロガーさんのところへ
失礼にもお邪魔させてもらいました。
私が当時拾ってきて飼育していたネコの去勢手術について
少し意見を下さった方のブログです。
経済状況が逼迫していたタメ、追い込まれた気持ちになり、
苦しく恐ろしくなってリンクを切りましたが、今はまた別の気持ちで。

さて、

私の得意分野は、どちらかと言えばメンタルヘルス系です。
自分自身のプロフィールにも掲載させていただいている通り、
依存症について、母子家庭についてが得意分野でしょう。

そして、キリスト教について少々、と言ったところでしょうか。
私自身の信仰心は正直「少々」ではありません。が、
偏りがあるのは承知しているつもりです。ですので、今回は「少々」と表現しておきます。

私は、自分自身の人生が、もはや自分自身のモノでは無い事を
時折「雷に打たれたがごとく」感じます。そして、今何をすべきか、
何を目標にし、どんな行動を取っていく必要があるのか、はっきり感じる時があります。
そしてそれが、私の願いのようであり、実は神様の願いである事も知っています。

「痛み傷つき複雑になった世に出てもなお、私は神を信じられるか」

今回の投稿のテーマです。

教会は素晴らしい場所です。そして、教会での人間関係は、
他の社会生活では味わえない絆を生み、またそこでの活動も然りです。

しかし、本当に痛み、救いを求めているのは、真理を探し損ね落胆しているのは
「世の中」です。
時間に追われ、責務に負われ、ルーチン化された日々の中で更にプレッシャーがかけられる。
確かに、その生活を捨ててしまえば、その一個人はスローライフを選択し、
心の平和を取り戻す、なんて物語がよくありますが、


それは本来、本当に欲しい答えなのでしょうか。
それは、神様が世の中に具現したいものなのでしょうか。
いえいえ、その方々を否定したりする気持ちは全くありません。
私が疑問を感じているのは、都会の空の下に居ると、大企業に居ると、
すさんだ国家に居ると、平和も味わう権利が無く、真理も泥まみれでわかりにくくなり
得る資格さえ無くなると言うのか、と言う事なのです。
それが答えなのか、と。

続き
[PR]

by eremiya2002 | 2010-02-27 10:42 | クリスチャンとしての私