子育てと言うミッション

最近、無気力まではいかないけれど、
一山超えてボーっとした感があります。
今日は、午後から娘も2年ぶりの発熱、
そんなこんなで、なんとなく物思いにふけっています。

まあ、あんまり過酷な状態が繰り返し続いたので
こんな人生の季節もないとやっていけなくなっちゃうから
ちょうどいいのだけど、ちょっと心配になったりしています。

仕事に無駄に熱くなる事もなし。
どこかに趣味の世界を作るわけでもなし。
信仰に熱く燃えて行動をしているわけでもなし。
何か夢の為にコツコツ積み重ねている訳でもなし。

とくにコレという事をしていない私。

でも、クリスチャンとしての信仰が無くなったとか
その生活に悩んでいるなどと言う事はなさそうだし、

一体何なのだろう、と考えてしまうのです。。。

でも、今「何か」が始まったり、始めようとしたりしても、
やっぱり2人で暮らし始まった11年前と壁は同じ、
お金、時間、子供の世話をしてくれる人
が無いんですね。

時折、良くわかってない人が
「その気になれば時間とお金は作り出せる」
と背中を押してきたと言うか、そんな言葉に乗ったときもあったけど、
子供を育てていくっていうのはそんなに簡単な事じゃない。
そんなに半端な犠牲に成り立つものでは無いと言う事は
この11年でイヤという程実感してきました。

そうだね、まだ子育て中。
いや、ラストスパートに入ってきたかしら。
もう少々の辛抱、しっかりやるか。

神様は今、私を子育てと言うミッションに置いたと、
大切な犠牲と言う種を撒いていると
信じてだいじょーぶかな。
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by eremiya2002 | 2008-11-26 23:06 | 私の事(つまり日記デス) | Comments(6)

Commented by at 2008-11-27 20:22 x
テンション上がってカッカしている人(自分も含めて)には、
諦めの大切さ
肩の力を抜く必要性
惰性で生きる価値
外への攻撃性を内向させる発想
を考えるのですが最近落ち着いている様ですね。

Commented by at 2008-11-27 20:22 x
「犠牲(sacrifice)」
クリスチャンが好んで使う言葉です。無宗教な私も、とある人の言葉で盲目的に全身全霊自己犠牲に傾倒した時期がありました。前の前の職場でですけどね。結果は無残な生活と虚無感しか残りませんでした。
それでも、今でも心の中の一番大切なwordがこれです。
現在の職場ではこれを基に行動するのは禁忌としています。様は周囲に流される日常を送っているってことです。良いのか悪いのか解りませんが取り合えず今の仕事が続いて9ヶ月。1年経てば正社員らしいので毎日ダラダラと生きてます。

子供に対してはどうなんでしょう。持ったことが無いので何とも言えませんが。
親が芋粥を啜る生活をして銭を蓄え子供を留学させる、とか?いいかもしんない。
まあ、それは一例だけどね。

それと、eleには既知だろうけど、「私が苦労してるのは貴女の将来のためを思っての事なのよ、判ってる?」ってのはタブーだよね。精神的であれ、感謝、謝意を子供であっても求めるというのは犠牲じゃないからねぇ。それを判って無い家庭って結構あるのよね。

なんかダラダラ書いたので文意不明かも、すみません。
Commented by おさむ at 2008-11-28 19:00 x
犠牲より試練かもしれませんね。
生活にしろ信仰にしろなんとなく…と言うことはありますよ。

しっかりやるか!!!
それでいいと思いますよ^^。
Commented by eremiya2002 at 2008-11-29 00:37
m氏
ハロー。。
こうやってまともに話合うのも久し振りだすね。
コメント有難うです。

そうなの、なにやら落ち着いているんだ。
年齢もあるし、時期でもあるし、知らないうちに悟った事もあるんだろうよ。
フツーの人の生活してると思う、ほんとに。

仕事が続いて9ヶ月!えー、がんばってるぢゃんかっ!エライ~。
Quitもそうだけど、m氏も文章力あるし、私よりは遥かに頭がいいんだろうな。軌道に乗れば私なんかよりぜんぜん仕事出来るんだろうな。

「犠牲(sacrifice)」
クリスチャンが好んで使う言葉です。

好んで使うって言う訳ではないんだよ。
上手くいえない。
自我はそれを「イヤだ」とさわいでいる。
でも、心の奥はそれを「喜んで」いる。
どちらを選択しても良い。それは自由。
その中で、必ず良い結果をはじき出すと信じて心の奥の声を聞く。
自我の優先ではなく、真理を優先するっつ~のかなんつ~のか。
Commented by eremiya2002 at 2008-11-29 00:47
自分が犠牲になるんだ、と言う自我があれば、
後から恨みと悲しみになって戻ってくる。
だけど、自分は犠牲になる事で神は喜ばれる、そして、
神からいただくものがあると信じて行うと、ちゃんと
「自分の中・外に、犠牲によって生まれたもの」
を「実感しながら」犠牲になれるので、最終的にへこんで終わらない。
無駄だったともならない。損得で言えば相当の得をしたと手応えも
感じる。

だから、犠牲を恐れないって言う真理がある。

ポイントは、「自分」が犠牲になるんだ、と言う「自我」がある、
または、自我がある人間の器を持った自分、と言う弱さを
甘くみていると後悔と恨みだけが残ると思っていた方がいいかもね。

私だって完璧じゃないから常々決心する場合もぼやくし
進んでいる途中でもガチャガチャ言いますけど。

さて、既知だと思うよ、子育ての件についてはそういう訳だから。
子供の成長・生活の為の場所・状態を提供する覚悟って言うのは
つまり自我を優先しない事なので、
我慢した分報われるはずだとか、なんだとかご褒美を待つ親だったら
後で大変だろうね。

Commented by eremiya2002 at 2008-11-29 00:50
おさむさん
今夜もコメントがあって嬉しいっす。
そか・・・試練か・・・。確かにまだ試練のうちかなぁ。
ただ、今年の初めくらいから考えるとぜんっぜん、ぜんっぜん楽チンな悩みですけどね。いかに自分の事にしか目が向いてないか
露呈しているようでお恥ずかしいです。

ちょっとずつでも社会貢献、私が得意とする分野になってくるけど、
困っている人のお手伝い、また始めたいと思います。

そんな私も困っている人になっている事が多々ありますけど
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