26歳か、27歳の時

お兄ちゃんと離れ離れになって2年か、3年か
その間の事って、あまり記憶がありません。

小学生の頃から発症していた病気が末期を迎えていたころ
Dr.には、このままだと、次私に会いにくる時は

「その娘さんも一緒には来れないかも知れませんね」
なんていわれたことがありました。

その後の人生は病気と共に生きる事に
向き合わなくてはいけない、ハードなものになりました。
甘えの許されない、徹底的に頭を醒ます為の

手厳しい、苦渋に満ちた訓練。
うなされてノイローゼになった日々、数知れず、
病気に対する周囲の「無知」が応え、
全ての人とのつながりを捨て
病気と生きる事に全てを使った10年でした。


話はさかのぼって、お兄ちゃんと離れる前、

「今のereちゃんの様な状態で
無理に子育てすると、2人の人生をつぶす事になるね、
育ったは良いけど、精神が酷く病んだ状況になるだろうね、
そんな子育て、分かっていて続けるのかい?」

といわれた事もありました。

誰にも言われたくない、
がけっぷちの状況で子育てしてました。

3人で死のうと考えている頃でして、

その意見に「だったら何とかしてくれんのかよ!!」と
物凄く頼りたい気持ちと、食い下がりたい気持ち
(いや、辛くて食い下がる事なんて出来なかったかも)で

グチャグチャになって、ウツが悪化して何ヶ月も苦しみました。

でもそれは最奥の私が一番感じていた事実で
多くの人に後ろ指をさされ、両親からもなじられながら
お兄ちゃんを前の夫に託しました。
今年は、中学3年、受験生。


何もかもを捨てて、
小さい頃から、身体的な虐待と、ネグレクトの行ったりきたりの家庭で育った私、
学生時代の思い出ゼロ、暖かい家庭の思い出、ゼロ
人格は崩壊し、社会的なコミュニケーションが全くダメになってしまった私が、
「人間」になる為にした努力は過酷でした。

25歳まで、手つかずの病気は深刻だったと今振り返っても怖い。
だから、30歳で本格的にイエス様に会えたのは、神様の大きな憐れみでした。



出産後、退院して帰る道で、夫から車外へ放り出されて
何キロも歩いてきた事もありました。

出産前に、汚れた家の娘だし、ウチの金を狙っているらしいから
お金は払うので赤ちゃんはおろしてね、といわれた事もありました。



悪い先輩に目をつけられて、
リンチに遭い、服を剥ぎ取られて川へ投げ捨てられる寸前に、
たまたま通りかかった別の先輩が気づいて奇跡的に助かり、

警察が来て保護してくれた時、
母は、私の事がいやでいやでベットから出てきませんでした。
外ですれ違って、ハハの側に居る女性が
「アノ子こっちみてるよ」というと
「え、気持ち悪い、知らない人」と言ってました。


父と母が離婚する時、呼び出されたと思ったら
お金あげるからパパに離婚届けかいてもらってきて

といわれた事もありました。


ああ、ほんの僅かな経験の一部ですが
時々ふっと思い起こす時があります。

今はいい、イエス様がいるから、今はいい。
私をそっと抱いてくれるのがわかるから。




知っているよ
だからお前のところに来たのだよ
自力で生きる事も
死ぬ事も出来なくなり
愚かさが私の頭をもたげ
地に這い蹲るようにして歩むおまえだから
会いにきた



そして、私たちが出会うために
そのような目にあわせた



とおっしゃる、あなた。



もう、背負わなくて良い過去。
もう、一人で戦わなくていい人生。


イエス様、今年息子は受験生なんですよ。
去年は、一瞬だけ10年ぶりに見れた。
あの時は、体が凍り付いてしまって
それから1週間、言葉が出なかったんですよ。

10年と言う、時の流れの重さ
もう取り戻せない、10年。
私を思い出して、海を眺めた事もあったんじゃないかな。
なんて思いあがったりすると

胸がギュッとしまって

でも、新しいお母さんいるからな
邪魔しちゃいかん
いつか会えるとかじゃない
一生涯会えない、覚悟をしないとねと
そしてその人生を

神様に有難うと、言わないとねと
息をすっっってすうんですよ。

力を抜いて、
全て通らなくてはいけなかった道、
全てが計画されていた事
この経験を通る事、生かすことが本来の目的、

なんで私がこんな目に、って思わない
さあ、切り替えてポジティブに行くんです。

がんばるんじゃなくて、委ねるんです。
全てのことのコントローラーは、私ではなく天の父だと。
気にかかるあらゆることを。
私に委ねられているのは、「今」だけ。

それも、神様、あなたの代理人なだけ。
私を遺し、私をアピールする、私の人生から
私は助けられた。

でもそれが、私の人生を豊かにし、重荷を軽くし
人とのつながりを強くし咲かせてくれてる。
物凄い真理に私は捉えられました。


こういった種の犠牲無くして愛は生まれない。



聖書を読んで知りました。

神様は人間から信頼が欲しいと思ってくださっている方。
信頼していない人間は、良いものをもらっても受け取らず、

大概は

「欲しいものはコレではない」と

人生を嘆いているものです。
ついこの間まで、その代表のような私でした。
口ではえらそうな事を言っていました。
私はできるちゃんとした人に見られたかったし
そうあるべきと思っていたし
その器が私にはあると思っていましたし。

どこから来た思いあがりだったのでしょう。
人とは何でしょう。その自力で生きようとする思いあがりが
一番の罪なのに。


子供と一緒に生きれなくなって
なおかつ、一般的な家族と過ごす事はない
私の人生に心から感謝します。
寂しさが時々こみ上げる事も、有難う。
生きる限り、感じる心があること、感謝します。

泣く時も、恐ろしさで泣くのではなく
父に抱かれているような気持ちで泣く今の人生は
どんなにありがたいことか。

仙台の街で身寄りなく、ポッと光るろうそくのような二人暮らしですが
その火がなんと暖かく守られているのでしょう。

全ての事を委ねます。
過去のことも、これからの事も。

神様は全てを良いようにしてくださるお方です。
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by eremiya2002 | 2009-08-14 03:04 | クリスチャンとしての私 | Comments(0)

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