コメントから抜粋です「信じている事に危険が及んだ場合」

私自身がAAにたっぷり漬かってから、教会へ戻った時、

(戻ったとは言え。。。。、その前はほんと遊び程度にしか行ってなかったのです。
理解もしていないし、疑う気持ちが殆どで、信者を鼻で笑うの普通の人でした)

初めてまともなカウンセリングを牧師にしてもらったのですが、
その際、牧師から
「あなたは価値のある、素晴らしい存在の人ですよ」と言われました。
私はすぐさま悪寒がし、
「私は素晴らしい人である前に、アルコール依存症者です」と
感情を全く出さないで、牧師の無知を上から見下ろすに近い気持ちで
言い放った事を覚えています。

その日、AAの問題点(当時、AAメンバーをサポートした聖公会の当時のサポートの問題点や、
AAを通して神を学ぶ時の歪んだ認識、そのデメリットなど)をさらさらと沢山書いてある厚い本を渡され、
「是非読んでみて」と言われ、半分も読めないで具合が悪くなり、
次の日誘われていた教会の行事は勿論、暫く顔を出せなくなり、数日不眠にうなされました。
本当に辛かった。


信じている事に危険が及んだ場合、また、真っ向から否定される時・・・・・

そう信じるまで、その価値観を確立するまでに
非常に苦労も努力もしている場合はなおさら

人間はかなり感情的に乱れるし、体調も崩します。

私が今回注意した彼女もそうでしょう。

激しい抵抗感も生まれるし、楽しくもありません。
そういう風に心を乱した人間を否定したくもなるし、
関わりを切りたくもなります。切る時もあるし。

自分の信じているモノが否定されたり、拒絶されたりする事に対して
耐性のある人なんて、いないですよね。
私も、あの牧師め。。。。と、私も今でも思います。その時の辛さを思うと。

キミがイエス・キリストを信じた過程と、私がAAを信じた過程、この価値を確立するまでの
重みがチゲーんだよ!と、戻って言ってやりたいくらいです。

ただ、自分にとって本当に本当に必要なものは
無理に取り入れなくても、自然にスッと入って来て、
凄く大切に持っていたものでも、あれこれ邪魔じゃない?と
急に不必要さに気づく時が多くあり

つまり今は、良かったな。と思っています。


だから、何も恐れず、そして、何か急いで取り入れる事もせず、
ただ、それぞれの人にそれぞれのペースで必要なものを
神様が与えてくださると信じれば良いと思います。

時折、人を通して大きなバケツが頭上から落ちてくるような時は
誰でもありますから、それは課題として脇に置き、
与えられた時間内で考えればいいと思うんです。

何事も一理あり、ですから。良いものまで排除しないようにしたいですね。
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by eremiya2002 | 2009-08-22 00:31 | クリスチャンとしての私 | Comments(2)

Commented by kit at 2009-08-30 06:32 x
ereさん、お久しぶりです。
最近、また過去がよみがったりして、苦しんでいます。
まさしく、ereさんの文章を読んで、これだ、と思いました。
否定され続けてきた人間なので、否定される恐怖は人一番です。
ともすれば、引きこもりたくなるくらいに。
心に怒りが満ちた人間と対峙しなければいけない時や、
自分が怒りや憎しみで満たされて苦しい時、
逃げたい逃げたい、それしかありません。
そして待っているのは、孤独です。
Commented by eremiya2002 at 2009-10-05 22:32
kitさん

↑のあと、調子はどうですか?
Kitさんは病院へは通っているの?
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