嫌な気分になるとき *アルコール依存関連*

私が嫌な気分になることがある。

それは、AA(アルコホーリクスアノニマス)と言うアルコール依存症者による
断酒・リハビリの為の自助グループの中で行っている事。

でも、覚えていてもらいたいのは
お酒をやめ、暫くの間は
AAや断酒会に勝る禁酒の方法なんてあるのかな?!
と思っちゃうくらい、こちらの方法は成功率が高い。
だから、医学会から・・・・、メンタルヘルスの観点から言っても
評価と理解は相当なものになってきているのではないか、と思う。
NHKとかにも取りざたされているしね。
とにかく、信仰なんてどうでもいい、
早く孤独から救ってくれ!
この恐怖から開放してくれ!
この人生の虚しさと、他者との比較から来る恨み、妬みの混乱から
逃げさせてくれ!

と言う方には、私は教会よりAAへ行く事をお勧めする。
いいえ、キリスト教に抵抗はございません
と言う方は、AA教に洗脳される前に
(私がその洗脳から解放されるまで
ちょっと大変だったからである。
今もまだ深いところに残っているものもあるし。)
ちびちび教会へは行ったほうがいいと思う。
*でも、離脱がひどいから、最初の病院治療は不可欠ですよ!!

ただ、教会はアルコホーリク専門教会ではなく
オールラウンドで魂の救いを受け持っているので
アルコホーリク(アルコール依存症者)の特徴に対しては
知識が疎いところがあるのは十分理解しておいて。

AAは、同病者の集まりであるから
”求めさえすれば”非常に近しいもの同士
ということがまもなくわかるだろうし
この病名からは想像がつかないほど
楽しみ、喜び、過去を笑えるようにしてくれる。

私は、24歳でアルコール依存症と診断された。
別に手が震えていたわけではなかったけど
頭の中は完全にしびれてた。
酒、電話、男、酒、電話、男だった。
詳しく言えば、アルコールを使って麻痺させていないといられない
苦しみやトラブルや悲しみを背負っていた。
そのために、心が常時不安であり、満たされない気持ちと
世の中に対する恨みと妬みでいっぱいだった。

最初のうちはずっと
心の痛みを和らげる道具だったが
アルコールは逆に私を病気にした。当たり前だよね、今思えば。
アルコールは健康食品じゃないもの。合法だけど
依存性のある麻薬だもんね。

本当は、人生には
アルコールも
たばこも
ドラッグも要らない。

必要になって、それがなければ生きられないという状況に
なってしまっている時、、アルコールが体を支配し、
水先案内をしている。その先は、精神の死、肉体の死である。

よもやまさか、この自分の側に、自分の生き方に、
解決策があるとは夢にも思わなかった。
だって、相当親にひどい目に遭わせられてきたんだもん
まずは親でしょ!!と。

でも、私は若かったけど、親は絶対真剣に考えてくれなかったね。
は?アルコール依存症?へ~不幸な女(笑)
っつ~感じだったよ。でも、あ~だよ、こ~だよ、って説明しても
”わかったわかったもういい”なんて感じだった。
おっと思い出すと腹が立つので本線へ戻ろう。

これを病気と位置づけ、
その心の症状を分析し学び、病院を開いて
理解を示し、受け止めてくれ、案内してくれたDr.、
ソーシャルワーカー、福祉関係施設のみなさんに、
感謝の気持ちでいっぱいである。

そしてAAは私を、回復の為にリハビリをさせてくれ
なんとか社会生活の出だしに引き上げてもらい
信仰への入り口へ導いてくれた。

そういう理解と回復の窓口が無かったら
私は既に自殺未遂も繰り返していたし
発作的に母親のところへ行って灯油をまき、
火をつけ殺してしまおう、と思うことも非常に現実化してきていたし
子供の首を、何かに指令でも出されたみたいに
フッと締めて、自分も・・・なんてこともちまちま始まっていたので
今、こんな生活をしていることはありえないだろう。


間違えてはいけないのは、
この病気、自分が”悪い”のではない。
「自分に課せられている」が、「自分が悪い」のではない。
私達の多くは、自分の人生を詳しく振り返りもせず
人の心がどういう風になりたっているのかとか
どうして問題がおきたのかとか
細かく分析することもせず、必死で探すこともない。

恐れ
(そんな事をしてまた意味のないところへたどりついたらどうするんだ;と言う類のもの)
で、その散策を途中でやめてしまうのである。
それから、なんで自分がそこまでやらなくちゃないの、とも思う。
恐れと高慢が行き来して、その悪循環から脱出を不可能にする。
(聖書にも、AAから出版されている本にもこういうことはちゃんと明記されているね)

ま、AAから出版されている本は、AAが始めるいきさつが
キリスト教の教えを模範とし、信仰をとビジョンを持って始めた
活動だから、同じ事が書いてあるのは当然っちゃ当然。

とにかくだからして、
~しなければならない、~する事は決してできない、こういう風に生きていくしかない
こういう方法を受け取り、そこにとどまる。

じゃあどうすればいいんだよ!
と切れる人も沢山いるだろう。
でも、こちらも聞く。

その人生の困難から開放される為に
ありとあらゆる手段を”本当に”試したか?
本当に困っているならば、精神科へ行き、
社会の福祉に必死にすがり、
教会を訪ね、寺を訪ねるだろう。
でも、それをせず嘆いているなら
それはただの”怠惰”であり、”自己憐憫”であり、”高慢”なのである。
ひどいね~こういうことをはっきり言う私って・・・・・・。
そういう自分も当初そういうことをガツガツいわれからなんだけど・・・・・。


そして、自己責任、ああ、それが運命
どこに行くかなんてわかんないさ、ケセラセラ
自分の好きな事やろうぜ、神様も許してくれるさ
こんなに悪い世の中なんだもの~♪
と言う人がなんと多い事か!!

ち~がうんだ。
生きるとはなに?と言うことを
徹底的に捜し答えを見つけ明らかにし
世の中にそれを示し、神が居る事を伝え、自分も救われ他人も救われていく為に
神様に選ばれた人なんだよ。重荷のある人は。
この世の中で不幸と言われている人たちは
実は相当なラッキーパーソンなの。
だって、神様が選んだ人たちだから。

で、AAの何が嫌かって(↑であんなにほめておいて言うのもなんですが)
タダ単に、教えに神様がいない事が不服なんです。
すげ適当な神様なの。確かにそれは、宗教嫌いな人にはいい。
余計な概念がないから、スッと信仰を学べて
そのために「断酒させるには」成功率がほかに比べても高い。

でも、日本のAAは問題だと思うのは
やはり数年過ごしてきてひしひしと感じた。
大元から離れすぎである。(地理的な問題ではない)
中ではとにかく時間と精神を割けるクリスチャンががんばってくれているけど
そうではない私なんかは、漸く時間を割いていっていたクチだったので
腹立たしいったらなかった。

メンバーがミーティングの中で神様のことを適当に解釈し
話す。それを信じる、また伝える、鵜呑みにする
こういう事の繰り返しが積み重なっている。手に負えない。
しかも私のように?その意見を世間一般に公表する。

アルコールが止まる事実にかんしては何の文句もないどころか
同じ共同体のメンバーとして誇りに思っている。
でも、神さまに関して・・・・神様の計画や思いについて
適当にやり続け、適当に伝えている姿は時折私は怒りさえもつ。
そして、かならずそのメンバー達がクチにするのはこれ。

”いいじゃないか、酒が止まってるんだから、我々は論争は避ける”

ムカツクっしょ。論争じゃない、キミ達共同体が無視している問題;
その現実逃避より出てきている問題について、問うてるのである。
真剣に目を開けろ。といいたくなるっす。
結局、あらゆるシュチュエーションに答えを持っているわけでもないくせに
持っているような事言うやつらがどんどん増えて
自分達が神様の慰めを得て居る事を知らずにいる。
伝統と言う肩書きはたいしたものだけど
道は曲がりながら下がっていっている。

という訳で、AAは数年真面目に通ったかが、
疑問マークをイッパイ持って教会へカムバック。
その中で、せっかくのリハビリ期間も結構きつい思いで過ごしたから
既にあまり行く気持ちにならないんだ。

なにって、そういうやつらの投稿を時々目にする機会があるんだけど
そいつらに大分忍耐したから、
思い出して苛ついちゃうのである(笑)

色んなことについて、この文面は個人の意見だけど
AAの主導権が、現在(実質)神ではないというのは事実だ。
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by eremiya2002 | 2005-04-10 03:43 | 自助グループ