信じて生きるって何だろう?

最近、他のブロガーさんにもコメさせて頂いたのですが、
家族の信仰について思わされています。

私はクリスチャンになって約7年です。
始めて教会に足を運ぶ様になったのは19の頃だったので
そこから数えるともう・・・・アハハ、ですが、

AA時代に信仰の世界がやはり間違いないと確信して
5年程AAで徹底的に過ごして

その後、今でこそわかりますけれども、自助Gは激しい洗脳もついて回るので
その洗脳部分を解いてクリスチャン生活へ改めてスタートし直したですが、

信仰の世界・・・私にとってはキリスト教を心に落とし込むことが出来てからは
早10年な訳です。

娘は一緒に教会に通うようになり、自分にも回復のプログラムが適用され
「信じて生きる事」を現在は当然の様に日々に取り入れていると思われますが
(とはいえ、サポートがこのereなので、超現実主義の熱いクリスチャンです・・・)



私の父母はさてどうだろう、と
ずっと考えても居なかった事を考える様になりました。

ま、父はまだ難しい。直感でわかります。
まだ体が利くうちは。
私の父は虐待(性的にも)する様な父でした。
別に今となってはどうでも良いのですけれども、

自分や人を信じることが出来ない人なので、

常に人を騙し、お金を盗んだり、調子が悪いと何ヶ月も何処かに隠れたり
会社に行かなかったり、借金を娘に回したり(娘とは私です)、
こんな事を生涯繰り返してきている人なので、

もう少し病床に伏すとかしないと自我が壊れなくて難しいんです。

で、母もハチャメチャで自己中な母でしのたで
(私が何かで問題を起こしても、ereは”あの”家に帰しちゃならん!って
学校の先生が哀れんでくれる程に残念な家でした・・詳細はいっぱいあるので割愛します)

いつか殺してやると思っていましたね。これは冗談抜きで。

でも、私が病気になり、クリスチャンになる事で
激しい恨みと悲しみは神様が悉く癒してくださり、私と言う廃墟を建て直してくださいました。
本当に奇跡しか無い様な歩みでした。

一番苦しい時期は(約5年。。AAに通っている時代)絶縁していました。
私が耐えられる様なまっとうな人間じゃなかったので(笑)。
その後も、つい3年ほど前までは、自己中心の塊の様な人で
人をねたみ、恨み、騙し、自分と彼氏さえ良ければそれでいい、と言う様な
かわいそうな人でしたが

再婚してアメリカにわたり、いきなり変わってしまいました。

自分の好きな仕事が出来なくなり、体調を壊し(糖尿)、
異国でも全然出来る、と(本当に幼稚でしょ)、周りを超バカにして海外へ飛び立って

日本がどれだけ素晴らしい国なのか実感し、
家族が(今まで男の事意外考えないような人でした)・・家族とは私と娘ですが、
どれだけ自分にとって大きな存在なのか、圧倒的な感覚に苛まれたらしいです。

だって、実母(私のおばあちゃん)が亡くなる時も
ハワイのコンドミニアムに行く約束をしているから、後はお願い!って
出掛ける様な人ですよ、母子家庭で時間に追われ、働くだけでもヘトヘトの私にですね、
「金さえあればアンタはやるでしょ、ビンボーなんだから(笑)」なんて
バカにする言葉を彼氏と吐いて、ね。

当然、私たちの信仰生活もツバを吐きながらバカにしまくり、
食事のお祈りをしている時も
「この食事、祝福してください、感謝します」なんて言ってると

どうもしてくれない神様に感謝ぁ~?アタシに感謝でしょ!
ハイハイ祝福してやるよ、アタシが!って

必ずコメント入れてくれていた様な人がですね、

今回、私の快進撃を見て、さすがに絶句していました。
そして、

「◎◎◎(←私のこと) 信じて諦めないって、やっぱりすごいね」

って言うのです。

自分が妬み、僻み、恨み、また、羨むような立場や職種や所得が彼女にはあって
(自分が非常に貧しい生い立ちで、その虚しさが消化できないで生きているんです)

それは絶対に手に入らない(大学でないと、つまりは金がないと)と
彼女は決め込んでいました。だから、世の中にもツバを吐くし、
自分が生んだ娘である私にも誇りを感じず、
価値も可能性も感じずに生きてきて、そして、その様に関わり育てたのでしょうけど


そうやって遠い遠い他人事のとして諦め、僻みと妬みのめがねで見ていた世界を

私が本当に10年前、

「何もありません、何もかも」となった時から

長い時間信じる事の土台を作り、それを使って生き直し
小さな歩みを着実に重ね、10年後にそれが形になる今の姿を見て

「信じて生きるってすごい」

って言うんです。

きっと、最も奥の奥の心は、信じて生きていきたいと言う願いが人間にはありますが、
その、信じて生きる事のリスクに怯え、恐れ、やめてしまうのが殆どでしょう。
でもその結果に得る虚しさは計り知れず、失う時間も大きい、

そうわかったから、私は賭けてきたのですが

それを愚弄した自分が間違っていたと、結果を見て感じているみたいです。

これは、最近悔い改めて、娘と孫をサポートする様になった母に対する
神様の憐れみだろうと感じていたので
そろそろ少し語ってみてもよいだろうか、と感じています。
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by eremiya2002 | 2010-05-30 07:12 | クリスチャンとしての私 | Comments(4)

Commented by forgive_yurusi at 2010-06-07 20:31
エレちゃんの抱えてきたもの、背負ってきたものは、大きいね。これからもいや、もちろん私もだけど、神様の背中に積み替える作業が続いているのだね。神様の背中に積んでしまえば楽チンだけど、積み替える作業は、まず、自分で始めなくちゃならないから、ときに、覚悟と重荷で疲れや恐れを感じてしまうよね。
導きがありますように、お祈りしますね。
Commented by はるたまご at 2010-06-08 08:55 x
eremiyaさん
こんにちは、先日はコメントを下さりありがとうございました。
eremiyaさんが神様と一緒に歩いてこられたこの10年が、お母様の心にじわじわと響いてきたんですね。
「自我が壊れないと難しい」
これはほんとうにそうですね。
私は16歳のときに受洗しましたが、振り返ると、いろいろな意味で少しずつ目が開かれてきたのはここ数年だなあと思います。私にとっては親になったことで自我が打ち壊された・・というのが大きいと思います。
私の母もこれまでの自分を全部ぶち壊すような出来事があり、それが受洗につながる大きなきっかけになったと思いますが、それでも神様は、長い時間をかけて今のこのときに向けて備えていてくださったんだ、ということも思います。
eremiyaさんと、ご家族のことお祈りしています。
Commented by eremiya2002 at 2010-06-08 22:08
forgiveさん
来てくださって有難うございます。
また~泣いてしまいました。なんでforgiveさんのコメや投稿は
泣いちゃうのかな?(笑)お祈り、有難うございます。
家族の事もそうですし、会社の事もそう、
手探りの恋愛もそう、
私の小さな器では、毎日が胸の張り裂けるような日々です。
お祈り、有難うございます。
Commented by eremiya2002 at 2010-06-08 22:11
はるたまごさん

いらっしゃいませ、有難うございます。
こちらにきて下さったのですね、うれしいです。
状況によっては、ビックリするような投稿もしたりしますけど
(育ちがとっても悪いereなので)
どうか時々遊びに来てやってくださいね。

「自我」って本当に根強く、そこから巻き起こる問題が
私たちの人生をつぶしてしまいますね。
つぶされてもつぶされても、それにしがみつく事を取ったら
自分には一体何が残るの?何もない人になっちゃう、って、
殆どの人が勘違いしている、そう、母も。そして
知らないうちに時々私も。

お祈り有難うございます、これからも是非よろしくです

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