私には何も出来ない事 悲しく感じる事 

今日、私は久しぶりに地元へ行きました。
といっても実家は既に無いので、友人宅を何軒か歩きました。
(当時アパートに暮らしていたが、家賃滞納で追い出され、その後両親は離婚したので)
だいたい、自分の里帰りと言うと、友人宅をチラリと回って帰るのが常です。
それで結構今は満足しています。
私が自分の不遇を消化できない長い年月、その里帰りは自分の虚しさを
広げるだけでしたが今は全く違います。

でも、今回は悲しい事がありました。

私は中学生の時からの友達が居まして
5年前、どうにもならない溝が出来ました。
信頼も深めてきた部分もあれば
もう限界だと互いに思う部分も作り上げていたのです。
私は私の過ちと彼女に掛けた負担を思えば、今となっては何の文句もなく
よくぞあんな私に付き合っていてくれた、としか思えないのですが、とにかく
色々な場面を共にしてくれた友人と断絶せざるを得ない時期が、この5年間でした。

私の中では答えはまとまり、久しぶりに先日長電話をし
世間話を交えながら、過去のこと、今の事を話しました。
その時は、話は良い方向へ向かったと言う手ごたえを感じたのですが
今日、お盆で会いにいった私に対して

彼女はとても冷たく
友人に対して発するような言葉ではないような言葉で、お断りを受けました。
体調がよくなかったというのはよく分かりましたが、お盆には行くと言う話で
合意していたハズなのに・・・。
でも、それにしてもこの言い方は普通じゃないな・・・と感じるような態度でした。
5年のブランクがあろうが、そのくらいは分かります。

ウチの娘も彼女は大好きなので、相当にショックは大きかったようです。
そう、冷たい態度は私に対してだけではありませんでした。
彼女はお盆には実家に帰省しているのが常でしたが
最近役付きになったプレッシャー、
30半ば近くになりステディな相手も居ず独身、
体力がなくいつも調子がわるいらしい事、
結構意固地なところがある事から考えれば、想像がつかなくも無いのですが
悲しみしか残らないような対応を受けた事は私にとってやはりショックでした。

結局、他人にそういう風にしてしまう心に対して
憐れで悲しみが沸きました。
確かに私に対して過去の事を振り返りながら
色々な感情が出るのだろうと思いますが
それをあらわにやり返す辛さを思うと
なんとも言えない気持ちです。

「そんな事をしても、何も良い事はおこらないのだよ」

と、私が言うと全く説得力が無いのでいえないし
(逃げていると思われるのがオチ)

「仕事の責任、生きていく責任について、世の中に答えは無いよ」

と言ったって、口では分かっていると言うだろうし
ひねくれた答えと、はぐらかす答えしか返ってこないだろうとも思う。
ただ、私と言う人間が求められていないようだと言うことを
今日は理解し受け止めなければならない日でした。
そこまでしなくても、と思わずには居られない気持ちにもなりましたが
そこまでしなくてはならない気持ちなのだろうと思うと、
そして、その原因を私が半分作ってきたと思うと、
やはり、涙は出るが受け止めていこうかなと思いました。

ただ、悲しみはするが、屈する事はしないよ、ゴメン。
この不和にはアナタにも責任がある。ただそれは私に言う資格はない。
私にぶつけているうちは、アナタはまだ長く苦しまなくてはならない。

捜すのに時があり、失うのに時がある。
保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。
引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。
黙っているのに時があり、話をするのに時がある。
愛するのに時があり、憎むのに時がある。
戦うのに時があり、和睦するのに時がある
・・・・・・・・・・・・・神のなさる事は、すべて時にかなって美しい



伝道者の書:3-6~




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そして、この友人に会う前に、私は他の友人と会っていました。
私は、心配していた高校時代の友人の事についてたずねました。
深い付き合いではありませんでしたが
学校内では良く知っている仲でした。
卒業後、彼女は難病にかかり、普通の生活に支障が出ていると聞きました。
とても活発・快活・明朗・そして美人
彼女は沢山の友人が居ました。
その彼女はどうしているか、と尋ねたら、現在は完全に寝たきりになってしまったと
言うことでした。
自分の病気と生活に対する対応で世の中に目を向けている暇もなく
突っ走った20代だったので、周りの出来事・友人関係は、あるだけ辛く苦しかったので
完全にシャットアウトしていた私でしたから
そんな事になっているとは思いもしませんでした。
でも、卒業してから15年弱になるのです。
彼女はずっと寝たきりだそうです。
当時付き合っていた彼が、責任を感じて結婚をしたけれども
結局離婚したとの事でした。

今回の帰省で得た現実は、私の心の深い部分を
また違った意味で呼び起こさせるものでした。

どちらの事も、私の手ではどうする事も出来ない
小さな私はただ悲しくなるだけ。
ただ現実を受け止めるだけ。

声を掛けてもきっと私の声では届かないし、んなことする資格もない。
ただ、私が知り、伝えたいのはいつも誰にでも一緒です。
そして、私が不遇に苦しみながら見つけてきた答えが
「不遇には意味があり、それには答えがあり、
それが無ければやれない仕事があるという事」です。

私達は常に誰かに必要とされていて
沢山の責任を担っている大切な価値のある社会の一員です。
「私」しか出来ない事が任されています。

そこを通らなければ知れない恵みがあるので
私達は受けている恵みを探し出すと言う大きな責任があり
伝えていくと言う責任があります。
著名になり講習会に呼ばれる必要があるのではなく
人生の中で誰か一人でも救い出す事が
私達の目でみて小さくても
神様の目に大きいからです。
価値観を変遷させる勇気、正しい知識が必要です。
何よりもまず、本当の慰めが必要です。

本当の慰めに出会えるように
私が出来るのはただ一つ
そのように祈る事だけです。

神様、聞いてください。私にしてくださったように
彼女達を憐れみ、愛し、抱きしめ、引き寄せ
その胸の中で涙を流せるように
救い上げてください。

私には何も出来ません。その魂に触れられるのは
ただ神様、あなただけです。






よく分かった今日だった。
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by eremiya2002 | 2005-08-16 00:09 | クリスチャンとしての私 | Comments(3)

Commented by fussyvet at 2005-08-16 11:39
最初のお友達は…、一時期私も同じような姿だっただろうと思います。全てに尖って攻撃することしか術がなかった。尖ってしまった心を癒すのは神様の働きだろうと思います。尖った心を持ってしまう時期を経て、その後得るべきものを得る人もいますし、その尖った時期はその人に適応した必要な時期だろうと思います。それさえも神様の計画ではないかと。
ご友人の尖った心が癒されますように。それから、難病に苦しむお友達にも癒しがありますように。
Commented by eremiya2002 at 2005-08-22 23:58
fussyvetさん お久しぶりです。有難うございます。もう彼女が情緒不安定なのが決定的になったのは20代前半。30過ぎて益々こじれてきました。癒しが必要ですね。ひどく傷つきましたし、がっかりもしましたが、それでも・・・それでも、実際関わる事は出来ませんが私は彼女を理解したいと願っているし、このままで終わらないだろうと信じているし、長い時間がかかる事を恐れません。ただ、愛は傷つくとマザーテレサも言いましたが、本当にそうですね。愛しているだけに悲しいですが、私の思いだけ果たしたい訳ではないですから、また祈っていこうと思います。有難う。
Commented by Nelson at 2006-07-08 16:52 x
病院ではないけど
手術もしないけど
注射もしないけど
治癒率90%代の副作用もない
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