ゆるす、ということ。依存する、ということ。

今夜の題名は、また仲良しさん(と私が思っている)の
ブログの名前をちょい借りしているみたいですね。

最近私は、ゆるす
と言うことを学び始めているような気がします。
「んなこと知らずに生きてきたのか、アホ」
といわれれば、面目ないの一言に尽きるのですが

これはまた一般的なゆるすより、進んだゆるすだと自覚しています。
その、進んだ「ゆるす」の入り口にたったような気がするのです。

今回派遣された職場は、女性のあつまりで
私の年下の人だけでした。5~6人ですが
私だけが派遣社員だという事も重なり、ひどいものでした。
3日目にはキレ、大声をあげたくなりました。

「てめえらアホか!ふざけんなよ、ボケ!!」

こんな言葉が四六時中頭の中をよぎってました。

「絶対更新しない、絶対ゆるさない、ふざけんな、ふざけんな、
人をバカにして!バカにして!バカにしやがって!」

と。
だって、そこそこに技術と経験を持ってやってきたのです。
それなのに。
何処の会社に行っても、ちゃんと評価され、多少怖ささえかもし出すタイプだったのに、
そんなふうにいくらか出来上がってきた自分に対するイメージと
全く違う立場に追いやられてしまったのです。




だって、お菓子を私だけ配らず通り過ぎたり
新商品のパンフも私だけ配ってもらえなかったり
業務用のメールも、メールグループからはずされているので
私だけ全く来なかったり
年下の女性に「派遣」と聞こえるように呼び捨てにされたり。
更にまたそれより年下の女性には(6、7歳年下かな)
忙しいとパニックおこされて大声あげて怒られたり
勿論、食事の心配なんて・・・・そろそろお昼へどうぞ、なんて
誰も言ってくれない。
「お昼、そろそろいいですか?」なんて聞くと
「別に関連がある業務をしているわけではないので、いつでもご自由に」
なんて言われちゃって。

ドラマかよ!がっかりだよ!(やっくんぽく)と思いました。
まず、本当に全てがはじめての経験でした。なんて残酷な・・・と。

何処に行っても、ちゃんと引継ぎをしてもらい
必要なものはそろえてもらい、派遣だとしても
最低限のルールは守ってもらっていたのだな、と、ここにきて知りました。
派遣社員になった当初は、その初めて受ける差別的な扱いに
恐れをなして憤った私でしたけど。

こんな感じなので、もっともっとネタはあるのですが

今夜は悪口いってすっとしたいわけじゃないんです。
正直、悪口言ってすっとするという、結局はすっとしない方法
ここで分かち合う気もないんすよね。

今回、やめるの殺すの心の中でつぶやき
また泣き叫びながら、それでもしぶしぶ一生懸命やった事がひとつありました。
今までの私は決してやらなかったこと、出来なかった事です。

この人たちをゆるし、仕えること。

だからといって、教会や友達には吠えまくりました。
死ね~~~~!!!!と
教会で思い出すとひっくりかえる勢いで、その憤りを口にだして
半べそかいてました。

でも、職場に行けば全力を尽くして彼女達をこきおろし
批判攻めにし、自分を正当化することをしない努力をしたのです。
(ちょい前までは、自分がしっかりやったら出来ない人をがっつりさばく
これが普通だったんですけど)
もうせざるを得なくてやってただけですけどね。

だって、私は依存的な人間だから
心の中に批判があっと言う間にふくれあがってしまうんですよ、いつも。

批判は依存のあらわれですね。本当にあっけなくそう悟りました。

リーダーシップを取っているアシスタントの女性の差別感は半ば病的でした。
それに便乗して、もう一人の30代女性がグルになっていました。
仕事内容が結構難しいので、誇りを持つのはわかるのですが
必要以上にソレを誇示していました。
満たされていない、証拠ですよね。

この社員の30代女性がリーダーシップを計るので
機嫌の浮き沈みが激しい分、若い女性達は
新人と言うこともあり、必死に調子を合わせ、満足させながら
仕事の引継ぎをうけていました。
毎夜、10時くらいまでやっていました。
そう、だから立場の弱い私に八つ当たりしたんですよ。無意識に、または意識的に。
疲れと不安でいっぱいだったんですよね。

牧師に泣きつきながら、私は牧師に
「ゆるすこと、理解(状況などを)すること」など、教えられました。
要するに、聖書にあるとおりなのですが

愛するとは、理解するということ
理解するとは、ゆるすということ
ゆるすとは、ゆるされるということ
ゆるされるとは、すくわれること

この、どこかのブロガーさんが記してくれた聖書的で具体的な方法を
自分の知識と知恵が理解する前に、信じて実行したのです。

そして、本当に業務上、または会社の中で一緒に活動してく上で
困ってしまう事、言われると辛い事、などを、こっそり支店長や
派遣の担当へお話して、サクを練りました。
ものすごく頭にきているし、苦しんでいる事も言いましたよ、勿論。

でも、本人達には言葉で悪く言わず、どんなに私が正しいとわかっていても
彼女達を裁かないように努力しました。つらかったっす。
全然、居ない人のような扱いをされ続けました。
2ヶ月間。どんなに楽しそうな話題にも、絶対に入れてもらえませんでした。
まったく居ないかのような扱いでした。
だから、正直、あまりにおしゃべりがひどいときには
怒った顔も態度もしました。生身ですからやはり・・・

でも、ほとぼり冷めればまた「ゆるし」「理解(相手の価値観形成の過程などを想像したりして)する」努力をまた続けました。


今、そのことの刈り取りをしています。
支店長が上手に・・彼女を傷つけないように、時間をかけてリーダーシップの
基本を教えたりしたようです。
そして、派遣社員とはどのように付き合うべきなのかも
ゆっくり、上手に教わったようです。それは彼女が怒っていないからわかるのです。
私に対する対応は、全くちぐはぐで、納得いかない様子もありましたが
それでも私は、
今までされたことを思い、数え、探り、彼女をゆるさない
あれだけのことを私したのだから、到底ゆるせるものではない
と言う結論に達しない信仰を持ちました。

彼女を恨み、憎んで3人もの人がやめちゃったみたいですが
今、私はやめずにすんでいます。正直、とりあえずやめる理由がないからです。
確かに、一般的に見たら、ひどい女ですよ、このリーダーの女性。
だけど、私は理解する努力を選び取ってきました
どうにかこうにか苦しみながら。
そうしたら、状況がぐぐぐぐグッとかわってきたのです。

そして、神様が私に何を教えたいのかがわかったのです。

「ゆるす」と言うこと。

これは我慢してやっている、ではなく、
へりくだり、理解する事に努力を重ねる事で
決してひどい扱いを、「どうぞ」と言うものでもないんですね。

このバカ女、となんども口に出そうになっていた
若い女の子達は、徐々に私を慕ってくるようになりました。
そして、低俗な女、と憎まれたリーダーも
私にとって仕え、ゆるし、理解する事にふさわしい女性と
納得できるようになったのです。それと
「このこ、かわいいかも。両親に随分辛く教育されたのかも。」
と、愛する気持ちまでわいちゃったわけです。

なが~~~~~~~~~~~~~~~~くなりましたが
私は、この真理を悟れた事を非常に喜んでいます。

私は、じゆうになりました。
そして、すくわれた、んです。
私の心には、自分で計画し思いわずらった事とは違う
平和な風がふいています。

いまさらながら、なぜ自助グループ(AAなど)で
神様にすがるといいのか、当然ですがまっすぐの線でますますつながりました。
せっかくバリバリ文句書いてたのにね
自助グループの人たちや、そのメンバーの神様への価値観に対して
非常に「批判的」な私、だったのに。
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by eremiya2002 | 2006-08-20 00:03 | クリスチャンとしての私