カテゴリ:最近の世情・事件( 26 )

小山兄弟殺害事件

私自身、忘れられない事件は何件かあります。

それは、子供が巻き添えになったり、犠牲になったりする事件です。
多分、私がこの世を去るまで忘れる事はないと感じていますが、
その中でも、この事件はとても辛かった。

最近、過去の事件(特に未解決の事件)をまとめてアップしてくれている
HPがあるので時々忘れないために拝見させていただくが、

そのとき、必ずチェックしてしまう。

してしまう、と言うのも変か・・

私が仙台に来ても自分の中にやめない行動が一つ。
他人のこじれた心の問題や、家庭の問題には
経験と知恵と、失望に対する答えを持って、
他人と他人じゃなくなるようにする事。

多分生涯、これは続けると思う。

沢山の、無関心の中で犠牲になった人たちが
私に植えたもの。
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by eremiya2002 | 2009-06-14 01:34 | 最近の世情・事件 | Comments(0)

スリランカ


2009年4月29日、インド洋。

サメ漁のために、海に出ていた
インドの漁師ラオ(K. Srinivas Rao)さんは、
およそ、150キロほど沖合いに来たところで、
1隻の小船と、手を振る2人の人影を見つけた。

2人のうちの1人は、
赤ちゃんを掲げていた。


インドの南の島国、スリランカ。
この地から産出されるお茶は、
セイロン・ティとして、世界中で愛されている。


この島の70%の住民は「シンハラ」という人々で、
その多くが仏教を信じている。

この島は、長い間、ポルトガルやオランダ、
そして、イギリスの殖民地として支配され、
人々は苦しんできたが、
1948年、ついに独立を勝ち取った。

そして、シンハラ人たちは、
仏教を基盤とした、
自分たちの理想郷の国をつくろうと考え、
そして、実行した。

シンハラの言葉で「輝く島」という意味の
「スリランカ」を国名とし、
シンハラ語を公用語と位置づけ、
シンハラ人が大学に優先的に入学できる制度をつくり、
就職や事業においても、
シンハラ人の優位な社会を作り上げていった。



だが、それは、同時に、この島に住む
シンハラや仏教徒以外の人々、
特に、人口の15%以上を占める
ヒンドゥー教徒の多いタミル人を抑圧することとなった。

植民地時代に移住してきた
インド系のタミル人は、
市民権や参政権を剥奪され、
タミル語に制限を付けられ、
大学や就職、事業において、
厳しい差別を強いられた。

タミル人の抗議に、
シンハラ人は、暴力でこたえ、
たくさんのタミル人が殺されていった。


そんなシンハラ人による差別と暴力、
そして、タミル人の怒りと悲しみが、
1人の怪物を生み出した。


「神の子」
ヴェルピライ・プラブハカラン、

シンハラ・スリランカ政権に対抗し、
タミル人の分離独立を目指す武装組織
タミル・イーラム解放のトラ
(Liberation Tiger of Tamil Eelam、LTTE)の
リーダーだ。

プラブハカラン率いるLTTEは、
シンハラ・スリランカ政権に対し
激しい武装闘争を展開。

それと同時に、ライバルのタミル人組織に対しても、
攻撃を加え、壊滅させていった。


LTTEの兵士は、子ども時代から徴兵され、
厳しい訓練しを受け、
青酸カリのカプセルを首からさげ、
逮捕や降伏するより死を選ぶと言われる。


25年以上にわたる
政府軍とLTTEとの戦闘で、
死者は7万人、
住む場所を失った者は数十万人に上る。


何度か停戦もあったものの、すぐに破棄され、
近年は、再び戦闘が激化していた。

そんな中、2008年より、
スリランカ政府軍によるLTTE殲滅作成が開始、
LTTEに対し、激しい攻撃を加え、
LTTEの支配地域は、徐々に狭まり、
今年2009年4月には、
わずか20キロ平方メートルほどの
「非戦闘地域」と呼ばれる部分に、
LTTEは逃げこんだ。


スリランカ政府は、LTTEの制圧に対し、
最終局面に達したと表明した。

ただし、大きな問題があった。

これまでの政府軍の無差別に近い激しい戦闘と
LTTEが自分たちの「盾(たて)」とするために、
たくさんのタミルの一般市民が、
LTTEに連行され、
この「非戦闘地域」に閉じ込められたことだ。

その数は、国連によれば5万人以上。


だが、国連をはじめ、国際社会が懸念する中、
スリランカ政府軍は、
LTTE殲滅のため、市民もろとも
「非戦闘地域」に激しい爆撃と共に進行していった。




非戦闘地域の海沿いの村
プツマッタラン(Putumattalan)にいた
オートバイ・タクシーの運転手
S・インドラ・クマル(S. Indra Kumar)さんは、
国際的な人権保護NGO
ヒューマン・ライツ・ウォッチに対し、
次のような話をしている。


「本当に恐ろしいところだった。
 いつも砲撃されてたんだ。
 4月の5日だったか6日には、
 近所に住む人たちが砲撃でケガをした。
 
 砲弾は塹壕に落ちてきて、
 10人がケガをし、その内5人が後で死んだ。
 
 麻酔薬はなかった。
 医者は麻酔なしで
 ある女の子の腕を切断しなくちゃならなかった。
 
 俺の小さな娘は泣いてたし恐がってた。
 
 それで、俺はここから逃げなくちゃって決心した。」


石切り工の
シバダサ・ジャグデシュワラン(Sivadasa Jagdeshwaran)さんも、
次のように証言している。

「ICRC(赤十字国際委員会)は
 テントを配っていたけど、足りなかった。
 
 それで、俺たちは
 ココナッツの葉で屋根をふいたシェルターを建てた。
 
 雨が降ったり、砲撃されたりしたら壕に駆け込んだ。
 
 食べ物は不足していた。
 
 ある日俺が食べ物の配給を受けるために並んでいた時、
 突然砲撃があった。
 俺は走って逃げたけど、
 後で、40人がそれで死んだと聞いた。」

「沢山の人が死んだ。
 死人が出たって聞く度に、
 埋葬のために死体を引き取るのさ。
 
 2ヶ月前、親父が行方不明になった。
 俺は親父を探しに病院に行って、
 そこで死体を見つけた。
 
 親父の頭の後ろ部分は全部なくなってた。
 顔だけがあったんだ。
 
 俺は医者に、頭をどうにかしてください、
 埋葬しますから、といった。
 
 そしたら、
 埋められる遺体があるだけでも感謝するべきだ、
 って言われた。」



4月20日、激しい砲撃のがやんだ時、
彼らは決心した。

4月21日、午前1時ころ、

ジャグデシュワランさんの、
奥さんと、4歳、
そして、8ヶ月の赤ちゃんクベラン(Kuberan)の
2人の息子たち、
そして、奥さんのお父さんや兄弟たちなど、
21人が小船に乗り込んだ。

誰にも見つからないように、
LTTEにも、政府軍にも…。


船長は言った。
「ここからインドまでの距離は、
 ハバナからマイアミまで行くよりも短い。
 9時間もあれば着くさ」

しかし、小船は、すぐにエンジンが故障し、
漂流することになった。



赤道付近のインド洋。
水も食料も、まったく無かった。


まず、子どもたちが死んだ。

4月24日、
S・インドラ・クマルさんの3歳の娘と、
ジャグデシュワランさんの
4歳の男の子が死んだ。

子どもたちは、海に流された。


それから、ジャグデシュワランさんの奥さんの
お父さんが死んだ。

そして、ジャグデシュワランさんの奥さんの
2人の兄弟は、海に身を投げた。


「1人ずつ。
 子どもたち、赤ん坊が死んだ。
 食べ物も、飲み物も無かった。」

S・インドラ・ミーナンさんは、
ニューヨーク・タイムズのインタビューの中でそう答えている。

「24日、死んだ。
 25日、そして、26日。
 1人ずつ死んでいった。」
 
漂流から9日目、
船長が海に身を投げた。

錯乱したのか、罪の意識からかは分からない。




2009年4月29日、インド洋。

サメ漁のために、海に出ていた
インドの漁師ラオ(K. Srinivas Rao)さんは、
およそ、150キロほど沖合いに来たところで、
1隻の小船と、手を振る2人の人影を見つけた。

2人のうちの1人は、
赤ちゃんを掲げていた。


掲げられていた赤ちゃんの名はクベラン(Kuberan)ちゃん。

8ヶ月のジャグデシュワランさんの息子だった。

クベランちゃんは、
お母さんのおっぱいを飲んで生き残った。

お母さんは、クベランちゃんに、
救出される直前まで母乳を与え、
そして、死んだ。


小船に乗り込んだ21人のうち、
救出されたのは10人だった。



収容された病院の上の柔らかなベッドの上で、
クベランちゃんは、
お父さんから粉ミルクをもらい、
オムツが汚れていないか見てもらっている。

赤ちゃんは、何が起きたかも知らず、
楽しげに笑っている。

そんな親子の姿が、
ニューヨークタイムズに、
写真と共に載せられている。


日本から遠い、南の島国。

ほとんどの人は紅茶産地としてしか知らないかも知れないが、
スリランカ政権にとっては、
日本は最大の援助国だ。

----------
関係リンク
New York Times
Boat to Safety Is Death Trap to Sri Lankans
http://www.nytimes.com/2009/05/06/world/asia/06lanka.html

Human Rights Watch
スリランカ:「ボートピープル」が戦闘禁止地域での恐怖を語る
http://www.hrw.org/en/news/2009/05/05-0

国境なき医師団
「一人の男の子が訊いてきました。『新しい腕はないでしょうか?』」
スリランカの前活動責任者、アンマリー・ルーフへのインタビュー
http://www.msf.or.jp/news/2009/04/1757.php

アムネスティ・インターナショナル
病院に対するクラスター爆弾使用は卑劣な行為
http://www.amnesty.or.jp/modules/news/article.php?storyid=597
民間人の犠牲が増え続けている
今週だけでも民間人数百人が犠牲になったという情報もある。
http://www.amnesty.or.jp/modules/news/article.php?storyid=645

国際協力銀行(JBIC)のスリランカの内戦の分析レポート
http://www.jbic.go.jp/ja/investment/research/report/research-paper/pdf/rp24_j02.pdf

アルジャジーラの動画(Youtube)
http://www.youtube.com/watch?v=ixWd9P5_0wY


ミクシィ/コミュニティ
世界の肖像より
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by eremiya2002 | 2009-05-30 00:02 | 最近の世情・事件 | Comments(3)

北朝鮮の拉致事件・・・被害者の安否について

今日のYahooニュースを見ていたら、
朝まで~TVで、田原さんが
横田めぐみさんの事を「もう生きていない」と言ったとか。
有力筋から得た情報との事でニュースに出ていたけど
私も鵜呑みにしている状況とはいえ、
どうしたらいいの・・・・って言う苦い思いになりました。

中学生まで一緒にいた娘が
ある日突然居なくなって、
散々探し続けて歩き続けて、
挙句の果てに
どこぞの関係ない人に、
もう生きてはいないのが事実だとか言われるって

ああ

どんなに辛いだろう。
たとえ、ひょっとしてそれが事実だったとしても。

人間って、弱く愚かね。
私も含め。

単純に、その人の立場になって考えようよ。
はっきりとした事実がない限り
生きていると信じて歩いているのだから。
証拠が出せないのなら、
言わないであげてって思う。
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by eremiya2002 | 2009-05-11 23:17 | 最近の世情・事件 | Comments(2)

企業の人々

今の会社に勤務して、なんやかんやで通算2年半が間近になってきたところですが、
私の最長勤務が4年なので、それにおいつく?勢いで働いております。

しかし、企業の人ってアレですね。
生きる世界がとても狭い。生きてきた世界も小さめ。
努力の甲斐があったからなのか、別にムリに努力せずとも導かれる事が
約束されていた会社なのか、私自身には分かりませんが、
結構大きい会社に勤めさせてもらっていて、
そこそこの学力のある子たちが結構居るのですが
(私と組んでいる子は東◎大学、私は看護学校中退、なんともカラフルな会社)

なんて頭の一部だけが大きく発達して生活している事か!と
つくづく感じながら共に過ごしています。
そう、ある一部だけギラギラと輝くダイヤモンドみたいに素晴らしい、
でも、生活してきた境遇とか、親の生活力とかが大体似たり寄ったりなので、
この世の中の事を、人間の心のことを、本当に僅かしか知らないと言う印象です。

でも、出来ているという自負(本当にデキるから何もいえませんが)があるので、
知らないことに知らないといえないといいますか、
自分たちは熟知しているという立場からしかモノが見えていないし、
気が狂いそうなくらい仕事に「自分」を取られていて、心なんてないみたいに働いてる。

なるほどねぇ、と毎日納得しています。
こういう人たちが企業の上に立ち、日本の中心に近いところにいるのか、
と、う~~む、と思っています。
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by eremiya2002 | 2009-04-26 02:05 | 最近の世情・事件 | Comments(0)

パレスチナ

1947年11月29日、国連総会は、
パレスチナの土地の土地の
半分以上をユダヤ国家、
残りをアラブ国家するという
国連決議181号、
いわゆる「パレスチナ分割決議」を可決した。


アラブ連盟は、それに反発し、
1948年2月、
ユダヤ人国家の建国の阻止を決議した。

1948年3月、
アメリカは国連で分割案の支持を撤回する。


そして、1948年4月9日…。


金曜日の早朝、5時前、
100人以上の武装した者たちがやって来て、
そのパレスチナ人の住む村
デイル・ヤシーン(Deir Yasin)を取り囲んだ。


武装団は、村人に対し、
即刻、村を明け渡すように命令した。

村人たちは、それを拒否し、
村の男たちは、銃を持ち出し、村を守ろうとした。


やがて、武装集団と村との間で、
激しい銃撃戦が繰り広げられた。


だが、すぐに、村は、武装集団に屈服した。

武装集団は、村の中に押し入ると、
報復のため、
村人を家から引きずり出し、壁に並べ、
銃や手榴弾を浴びせて殺していった。


その数は100人以上にも上り、
その半数は、
妊婦を含む女性や子どもたちであった。



この武装集団は、
いくつかのユダヤ人の裏組織で、
その1つの組織「イルグン (Irgun)」のリーダーは、
後に建国されるイスラエルの首相、
メナヘム・ベギンだ。


その後、ユダヤの武装組織は、
パレスチナの村々に対し、
「もし、家を離れなければ、
 デイル・ヤシーンのようになる」と、
ふれ回り、そして、その通り実行した。


1948年5月14日、
ユダヤ人は「イスラエル」の独立を宣言し、
それに反発するアラブ諸国との戦争に勝ち、
国連の「パレスチナ分割決議」よりも、
さらに多い領土を「勝手に」獲得する。


この間に、
2000人以上のパレスチナ人が虐殺され、
70万人以上が住む土地を追われ、難民となった。

国連が最初に本格的に取り組む難民、
パレスチナ難民の始まりだ。



当初、国際社会は、
パレスチナの難民たちに、
すぐに自分たちの土地に戻れるようにすると約束し、
国連は、彼らを、支援するため、
「暫定的な組織として」
国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)を設立した。


それから、60年、
UNRWAは、何度も、その期限を延長し続け、
パレスチナ難民は、
4世代、440万人以上にもなっている。



1990年代、後半、
ノルウェーの仲介などにより、
イスラエルとパレスチナは、
合意により土地を分割し、
そして、2000年には、
「パレスチナ」国家成立…一歩手前まで行った。

あらゆる物を奪われてきたパレスチナの人たちが、
「イスラエル」を認め、
残りの土地で「パレスチナ」を建国する決心をした。


パレスチナの人たちにとって、
これ以上、譲ることがあるだろうか!


あと残るは、
「イスラエル」と「パレスチナ」が、
どちらも「首都」として求めている
「エルサレム」をどうするかという
という問題だけだった。

「エルサレム」は、
ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の聖地だ。


国際社会、パレスチナ、
そして、ほとんどイスラエルも、
「エルサレム」を分割して統治…
…という流れになってきた。

そして、それは、現実的な解決策にみえた。

なぜなら、現在、エルサレムは、
ユダヤ教徒、イスラム教徒、キリスト教徒などが、
それぞれ、うまく住み分けて暮らしているからだ。



だが、そんな大事な最終段階の、
2000年9月28日、
当時、イスラエルの野党リクード党首シャロンが、
武装兵を連れて、
パレスチナ・イスラム教の聖地に押し入った。


ぎりぎりの譲歩をしてきたパレスチナの人々は、
耐えきれずに怒りの声を上げた。

特に、若者、子どもたちは、
怒りを抑えられず、
イスラエルに立ち向かっていった。

…と、言っても、その武器は、
ただの「石ころ」だ。

子どもたちは、「石ころ」を投げて、
イスラエルに立ち向かっていった。
(第2次インティファーダ)


そんなパレスチナの子どもたちに対して、
イスラエルは、完全武装した兵士と、
装甲車で応戦した。



その後、シャロンは、イスラエルの首相となり、
パレスチナの独立など、
まるで無かったかのように消え去った。


今、イスラエルは、
パレスチナ人の土地の周りを、
高い壁で囲い、
パレスチナ人を、
経済的に、肉体的に、
そして、精神的に追いつめている。


そして、2008年の暮れ、
世界がクリスマスだ、新年だと言っている間に、
パレスチナのガザ地域を封鎖、
空や地上から攻撃を開始した。


イスラエルは、ガザ地区から、
ジャーナリストなどを完全に閉め出し、
食糧品や医療物資の持ち込みも妨害し、
逃げ場のない高い塀に閉じこめられた人々を、
殺している。

攻撃は、毎日続いていて、
今日1月6日現在で、パレスチナ人、
数千人が負傷し、
500人以上が死亡している。


イスラエルが、地上部隊の投入を開始した、
1月4日、日曜日からの1日だけでも、
26人の子どもたちが殺された。



BBCやCNNなど、世界のメディアは、
今、リアルタイムで、イスラエルの攻撃を伝えている。

ガザの中から、インターネットで、
状況を伝える人々もいる。



今、わたしたちが、目にしているのは、
ナチスドイツが、
ユダヤ人を隔離したゲットーであり、

ナチスがユダヤ人を殺した
ホロコースト、そのものだ。


今、世界は…
…わたしたちは、リアルタイムで、
虐殺、ジェノサイドを、目の当たりにしている。



アメリカ・ブッシュ政権は、
この事態について、
停戦を破ったパレスチナ組織ハマスに、
全責任があると言った。


でも、本当にそうなのか?

あらゆる物を奪われてきたパレスチナ人に、
これ以上、何を要求できるのだろうか?



間違いなく、すべての責任は、
まず、第1に、イスラエル。

そして、2番目に、
「すぐに解決する」と、
パレスチナ人たちに約束しておきながら、
60年間、放置し続けてきた、
国際社会にある。




2000年、「独立」の一歩手前、
わたしが、パレスチナを訪れたとき、
パレスチナの人たちは、
完全には納得していなかったものの、
それでも、「パレスチナ」という国が出来ることに、
みんな希望を持っていた。

わたしは、彼らに、
パレスチナが独立した日に、
「わたしも一緒に、
『おめでとう!』って、パレスチナの国旗を振るよ」…
…そう、約束し、笑いあった。


だが、その約束は、未だに果たせていない。


そして、今、殺されている人たちにとっては、
そんな未来も、どんな希望も、
もう、なんの意味などない。

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みなさん、あけましておめでとうございます。
コメントもせず、先に投稿してしまう事をお許し下さい。

時間を取って、落ち着いた時にコメントさせていただきます。
今年も宜しくお願いします。

By ere
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by eremiya2002 | 2009-01-06 22:16 | 最近の世情・事件 | Comments(0)

世界一希望を待つ人々

私が大好きなmixiのコミュニティより

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1999年7月、
当時、国連難民高等弁務官(UNHCR)だった緒方貞子は、
国連の安全保障理事会に乗り込んで、
国際社会に対してこんな話をした。


当時、紛争下のユーゴスラビアのコソボ地方では、
85万もの人々が難民となっていた。

それに対し、国際社会は、
270億円($225.7m)をUNHCRに対し支援した。


そして、同じように紛争により、
アフリカ大陸全体では、
400万人とも600万人とも言われる数の
難民が発生していた。


しかし、それに対して、UNHCRが
国際社会から受け取った額は、
150億円($127m)だと…。


緒方貞子は、この理由のひとつに、
「メディアの関心の差」をあげている。



なぜ、アフリカに対し
メディアの関心は低いのだろう。


地理的要因や政治経済の
関係の深さなどを理由にする人もいるだろうが、
必ずしもそれは正しくない。

インドネシアの地震津波の災害を、
世界中のメディアは
連日トップニュースで伝えていた。


では、なぜ…。



メディアは、
…そして、わたしたちは…
もう、アフリカを忘れてしまいたいのだろうか…。



2006年3月5日のニューヨークタイムズで、
アモーナ(AMOUNA)という名前の
一人の20歳のお母さんが紹介されていた。

彼女は、スーダン・ダルフールの戦火を逃れて、
隣国チャドの難民キャンプへ逃れてきた。


虐殺の続くスーダン・ダルフールも最悪だが、
逃げてきたここチャドも、
国連の人間開発指数では、
世界のワースト10に入る。



アモーナさんは、
生後三ヶ月の赤ちゃんを抱いて、
ぼんやりと言った。


「この子は、大きくなったら、学校に行くの。

 この子は、お医者さんにも診てもらえるようになるし、

 おなかいっぱい、ご飯を食べるの。

 この子は、平和に暮らしていくのよ。」



調査会社のGallup International Associationが、
世界経済フォーラムに提出したアンケート・レポートによると、
世界の中で、一番将来に希望を抱いているのは、
アフリカの人々だという。

アフリカの人々の55%が、
未来は、よりすばらしいはずだと答えている。
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by eremiya2002 | 2008-09-25 01:03 | 最近の世情・事件 | Comments(3)

ダルフール

「俺には、5歳くらいからの思い出がある。
 あの時は、家族みんな一緒だった。

 そして、そこらじゅう、戦争だった。


 だれだれが死んだとか、よく聞いたよ。

 だけど、子どもには、
 「死ぬ」とかの意味がよく分からなかった。


 人がそこらじゅうで死ぬような所で、俺は育ったけど、
 子どもたちには、死体を見せないようにしていた。

 だから「だれだれは、どこへ行った?」とか聞けば、
 「そいつは、みんながいつか行く、別な世界へ行った」って
 答えがが返ってきたよ。



 俺には、何一つ、楽しい思い出はないね。

 あったのは、暴力とトラウマと、闘いだけだった。
 それが、俺の思い出のすべてだ。」
 
 
エマニュエルは、
アフリカの国、スーダン南部の土地に生まれた。

誕生日については、彼はこういう。

「俺は、たいてい、
 1980年6月1日だって答えてる。

 だけど、5万人の子ども兵に聞いてみろよ。
 みんな6月1日って答えるぜ。」



その後、エマニュエルは、
両親と離れ、エチオピアの学校へと向かう。

「戦争が激化したころ、俺たちガキは、
 別な街に行かされることになった。

 後で、母親が死んだって聞かされたけど、
 どんな風に死んだのかは知らない。

 俺は、6歳か7歳だった。


 親父が入っていた反政府軍SPLAは、
 子どもを隣の国の
 エチオピアの学校へ行かせるよう命令した。

 それで、俺たちは、歩いて
 エチオピアに行かなくちゃならなかったんだ。


 たくさん死んだよ。
 野獣に食われたり、川に落ちたりしてね。



 実際、少しの間、俺たちは学校に行った。
 俺が、始めて英語を勉強したのはそこだった。

 やがて、でかいやつがやって来て、
 規律だのを教えるようになった。

 そして、俺たちは戦い方を学んだんだ。」

エマニュエルは、8歳で銃の使い方を学んだ。

 
「俺が、最初に戦ったのは、
 「ソフト」なやつだったら、9歳だったな。

 村へ行って、動物とか盗むんだ。
 まあ、戦いの練習みたいなものだ。

 だけど村人に見つかって、仲間が殺された。

 それで俺たちは、
 全部の村を焼き払った。

 それが、俺の戦士としての最初の経験さ。

 まあ、誰もがみんな同じような感じで、
 「やったぜ!俺たちは戦士になっただ」ってとこさ。」


やがて、エマニュエルは、戦いの前線へと送られる。


「そのうちエチオピアの政権を守るために戦わされて、
 でも、結局負けて、俺たちは逃げなくちゃならなくなった。


 何千人も死んだぜ、泳げなくてな。

 ケニヤへ行ったやつもいたらしいけど、
 俺は、南部スーダンのジュバにたどり着いた。


 そこは、最も恐ろしいことが起こってた場所だった。

 若者は勇敢に戦ったぜ。
 自分たちが簡単に死ぬなんて知らなかったからな。」
 
 
「俺は、はっきりと覚えているぜ。
 人々がどうやって死んで行ったかをな。
 
 ヘリコプターが、人々を追い掛け回し、
 戦車が、ぶっ殺すんだ。」


「俺たちが何のために戦っていたか知っているかい?

 そうだ、自由のためさ。
 スーダン政権が、俺たちを押さえつけていたからな。


 やつらは「シャーリア法」ってのを始めて、
 こいつは、つまり、イスラム教徒じゃないやつは、
 ちゃんとしたやつじゃないってことで、
 まともな仕事にも就けないってことになった。


 そして、奴隷制度があった。
 あんたが黒人だったら、あんたは奴隷なんだよ。」



だが、そんなエマニュエルが
子ども兵となってから4年後、
転機が訪れた。


「そのうち、SPLAで内紛が起きて、
 互いに戦うようになって、
 俺は戦う気力が失せて、逃げ出した。」
 
エマニュエルと友だちは、そこから逃げ出した。
そして、3ヶ月、砂漠をさまよった。

水はなく、乾いたトウモロコシを食べた。

「みんな死んで行ったよ。
 たくさんの骨を見た。
 
 水がなくなって、
 俺たちはみんな死ぬんだって思った。
 
 自分で自分の頭を撃ち抜くやつもいたよ。」
 

旅の始めにいた400人は、
最後には12人になった。


そして、エマニュエルはケニアにたどり着いた。


そこで、ボランティアに来ていた
イギリス人のエマに引き取られた。


だが、1993年、
そのエマも交通事故で死亡する。
エマニュエルが13歳の時だった。



・・・さて、あなたは、この戦争に翻弄された、
「アフリカのかわいそうな少年」の話を、
もっと聞きたいだろうか?


さらに彼には、
こんな人生が待っていた・・・



エマニュエルは、その後、
自分の心の支えとなっていた音楽の道に進むことを決意し、
ラップ・ミュージシャンとなった。


2005年、彼の最初のアルバムは、
ケニアのチャートのナンバー1を獲得した。

そして、彼は、イギリスへ向かった。


その年、欧米のミュージシャンたちは、
アフリカを支援するイベント「ライブ8」を行おうとしていた。

エマニュエルは、その主催者ボブ・ゲルドフへ直談判に行った。

「アフリカ支援のイベントなら、
 アフリカのミュージシャンも参加させるべきだ」
 
 
ライブ8でパフォーマンスした曲「Gua」・・・
エマニュエルの故郷の言葉で「平和」と名づけられたこの曲により、
エマニュエルの名は世界に知られる事になった。


その後、彼の曲は、
映画「ブラッド・ダイヤモンド」や
テレビシリーズ「ER」の12シーズン、
"There Are No Angels Here" の中で使われている。


「エマニュエル・ジャル(Emmanuel Jal)」は、

子ども兵士の徴用廃止を目指す連合
(The Coalition to Stop the Use of Child Soldiers)、
http://www.child-soldiers.org/

アフリカの貧困を解決しようとしている
Make Poverty Historyキャンペーン、
http://www.makepovertyhistory.ae/around-the-world.html

そして、
国際的な武器の規制を目指す
コントロール・アームズ・キャンペーンのスポークスマンであり、
http://www.controlarms.org/

次世代のスーパースターを期待されている
ミュージシャンの1人である。



エマニュエル・ジャルの母国、スーダン。

今、スーダン政権は、
スーダン南部地方との戦争を停止し、
ターゲットをダルフール地方へと変更した。

ダルフール地方では、
この5年間に45万人もの人々が殺され、
250万人が難民となっている。

国連の平和維持軍を受け入れたものの、
国連の対応は進まず、
今年、2月10日、
スーダン政府は、ダルフール地方に対し、
再び空爆を開始した。

それにより、新たに1万2千人の難民が発生したと、
国連は伝えている。


そして、スーダン・ダルフール地方と
国境を接する隣国チャド政府は、
2月11日、
これ以上、ダルフールの難民を
受け入れないことを表明した。

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関連リンク

「エマニュエル・ジャル(Emmanuel Jal)」のサイト
http://www.emmanueljalonline.net/
TIME
10 Questions: Emmanuel Jal
http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,1109296,00.html

Washington Post
Emmanuel Jal: A Child Of War, a Voice of Peace
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/01/04/AR2008010401256.html

ガーディアン
From child soldier to rap superstar
http://www.guardian.co.uk/world/2005/mar/20/arts.sudan

BBC
From child soldier to rap superstar
http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/4277923.stm

Live 8
http://www.live8live.com/

ナショナル・ジオグラフィック
http://worldmusic.nationalgeographic.com/worldmusic/view/page.basic/artist/content.artist/emmanuel_jal
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ワタシが参加しているmixiのコミュ,「世界の肖像」から
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by eremiya2002 | 2008-02-19 08:36 | 最近の世情・事件 | Comments(6)

ワタシも!”中国ギョーザ”で思うこと

知らず知らずに「やすければよし」と言う流れで生活
している面も多々あった私だったのですが、

色々と社会生活をしているうちに、待てよ?と思うことが増えてきているところでした。

ある程度良質なものを揃えるには
人々の賃金に繁栄させたり設備投資したりする事が
不可欠のハズだから、金額は頭打ちされるはずなのに
ドンドン下がっていく。

これは、儲けを考えた経営者が仕掛けた時限爆弾みたいな
ものだったんですね・・。 (当人たちはそんなつもりなかったでしょうが)

今回の事は、個人単位で考えれば
何で中国のせいでこんな目に!と思うことなのでしょうけど
国単位、人間単位で考えれば
思いっきり自業自得ですよね。

ere家のこの1年は、
買い物は国産で!しかも地元のモノを重視。
安いからいい、だってお金ないし、と言う事は出来るだけやめて
地域の一員として、安価なものと比べたら当然数パーセントのせて
地域のモノを買ってきました。

まだ、「中国のモラルに欠けた劣悪な農薬管理」程度だったから
良かったようなものの、

モノによっては児童労働などでコストを抑えている商品が
日本市場には出回っています。それを知らずに買っちゃってる!

安い、おかしい!って思わなきゃ、ダメだよね!!!
100円ショップなんて危険らしいし。アタシぜったい100ショ行かない。
ナイキも買わない。

ただ、現状はどうなのかな。ちゃんと調べよ~!
分かっている方いたら教えてください。児童労働について。
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by eremiya2002 | 2008-02-02 00:45 | 最近の世情・事件 | Comments(9)

優ちゃんをバイク座席下のヘルメット収納スペースに入れ・・・

大阪府能勢町の山中に峯松優ちゃん(当時1歳)の遺体が遺棄された事件で、府警豊能署の捜査本部は27日、母親の再婚相手の無職田宮元貴被告(22)(死体遺棄罪で起訴)を殺人容疑で、母親の美香被告(21)(同)を監禁致死容疑で、それぞれ再逮捕した。

 調べによると、元貴被告は1月31日午後、同府豊中市の自宅駐車場で、優ちゃんをバイク座席下のヘルメット収納スペースに入れて近くのパチンコ店に出かけ、そのまま近くの歩道に放置して窒息死させた疑い。

 元貴被告は「パチンコの途中、4回目に様子を見に行った時には死亡していた。死ぬと思わなかった」と容疑を否認しているという。

 美香被告は、元貴被告が優ちゃんを座席下のスペースに入れてパチンコに行くのを知りながら、制止しなかった疑い。美香被告も「(元貴被告が)『時々様子を見るから』と話していたので、大丈夫だと思った」と否認しているという。
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by eremiya2002 | 2007-06-27 23:36 | 最近の世情・事件 | Comments(0)

不倫ママ

お泊り、お泊り、お泊り。

昨年末あたりから、私達母子2人が住む公営住宅には
あっちの子供、こっちの子供・・・遊びに来たり、泊まりに来たりします。

そして、子供だけでなく、あちらの奥さん、こちらの前職場の友人女性など
大人も遊びに来ます。メールしてきます。今度会おうと言ってきます。

みんな、重荷を抱えて持ちきれず、バランスの悪い子供・大人たちです。
世の中に慰めが無いので、慰められに来ます。
世の中に希望を見出せないので、自分に希望はあるか、と聞きに来ます。
世の中に安らぎが無いので、安らぐ方法を知りに来ます。

もうずーっとそうやってイッショに教会にいく子が1人増え、2人増えしています。


一人の子のお母さんは、今不倫中なんですって

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by eremiya2002 | 2007-05-05 00:22 | 最近の世情・事件 | Comments(2)