カテゴリ:クリスチャンとしての私( 42 )

ヨブ記

今日の礼拝で、横田早紀江さんのお話がありました。

私は1974年産まれ、横田めぐみさんが拉致され行方不明になったのは1977年。後々北朝鮮による拉致と認定されたことで、世間の一部の人間が不思議で恐ろしい事件に幼稚に反応し、その一人であろう自分の父から当時面白おかしく「お前も日本海を沿岸を歩くと連れ去られるぞ」と脅かされ、恐怖に怯え、連れ去られた恵さんの恐怖を思い、子供の私は夜も眠れない様な恐怖と悲しみに襲われたことがありました。また、結婚をし子供を持った後、自分の子供が取り去られ居なくなるという経験を私自身もすることとなり、子を奪われる事による喪失感、自己不全感、無気力、消えて居なくなりたい気持ち、それでも生きていかねばならない消えてくれない自分の命がある事の悲しみと言う重荷を体験し、あの様な荷を背負って生きるとは如何程の苦しみであったろうと、いつもまるで自分の事の様に胸を痛めてきた出来事でした。そんな横田早紀江さんが信仰を持ち今を生きていらっしゃる、その大きなきっかけになったのはヨブ記であったそうです。

そして、今日の説教は、ヨハネの福音書8章32節「真理はあなたがたを自由にします」がテーマでした。

富でも、意思の力による努力でも、成功でも、名声でも、自分が決めた何がしかの高尚なゴールでも無く、真理が私たちを自由にすると言うお話です

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by eremiya2002 | 2018-03-18 22:51 | クリスチャンとしての私 | Comments(0)

真理は人を自由にする

@国立国会図書館法の前文(の一部)

「国立国会図書館は、真理がわれらを自由にするという確信に立って、
憲法の誓約する日本の民主化と世界平和とに寄与することを使命として、ここに設立される。」

@ヨハネ8章31節〜32節
そこでイエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。
「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。」
「そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなた方を自由にします」
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by eremiya2002 | 2013-05-02 22:28 | クリスチャンとしての私 | Comments(0)

Mission

私の使命

それは人助け

ひとつの活動にフォーカスしないよ

でも

深い問題に必ず手をつける

それには

私が社会人として力をつけ

娘を育て上げることがまず大事な仕事と思ってる

その後、その仕事を全うしたら

それから

私は始めて使命を実行に移そうと思ってる

たくさんの試練を乗り越えて

実績と実力を持って

36歳にしてはっきりと見えてきた、自分の使命

AAの方法にすっかり依存するわけでもなく

教会の伝道方針に従うわけでもなく

私と神様との間にある契約



私はどこにも縛られないで、神様と一緒に進もう

私の考えでは進まないよ
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by eremiya2002 | 2010-10-11 21:44 | クリスチャンとしての私 | Comments(7)

ハレルヤ!

ハレルヤ!

すばらしい、主の御業

私は心から神様に感謝します。
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by eremiya2002 | 2010-10-02 10:55 | クリスチャンとしての私 | Comments(4)

だから結婚なんてもういいや

だから、結婚なんて考えるのもうやめ。

諦めたんとちゃいます。

ゼーッタイ神様、私に(結婚については)ノープランと感じたっていうの。

「オレがいるだろ」
(ってイエス様はいわないと思いますが)

結局そういうこった。

じたばたするのヤメ。

人生を使えという事だ。

小さなプランじゃないって事。

マザーテレサも、すっごい男らしいモンね、生き方が。



ハー、覚悟するかぁ~

と思いましたよ、さすがに。
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by eremiya2002 | 2010-09-12 23:31 | クリスチャンとしての私 | Comments(8)

信じて生きるって何だろう?

最近、他のブロガーさんにもコメさせて頂いたのですが、
家族の信仰について思わされています。

私はクリスチャンになって約7年です。
始めて教会に足を運ぶ様になったのは19の頃だったので
そこから数えるともう・・・・アハハ、ですが、

AA時代に信仰の世界がやはり間違いないと確信して
5年程AAで徹底的に過ごして

その後、今でこそわかりますけれども、自助Gは激しい洗脳もついて回るので
その洗脳部分を解いてクリスチャン生活へ改めてスタートし直したですが、

信仰の世界・・・私にとってはキリスト教を心に落とし込むことが出来てからは
早10年な訳です。

娘は一緒に教会に通うようになり、自分にも回復のプログラムが適用され
「信じて生きる事」を現在は当然の様に日々に取り入れていると思われますが
(とはいえ、サポートがこのereなので、超現実主義の熱いクリスチャンです・・・)

「信じて生きる事 つづき」
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by eremiya2002 | 2010-05-30 07:12 | クリスチャンとしての私 | Comments(4)

痛み傷つき複雑になった世に出てもなお、私は神を信じられるか

「痛み傷つき複雑になった世に出てもなお、私は神を信じられるか」

久し振りに、以前リンクをはらせて頂いていたブロガーさんのところへ
失礼にもお邪魔させてもらいました。
私が当時拾ってきて飼育していたネコの去勢手術について
少し意見を下さった方のブログです。
経済状況が逼迫していたタメ、追い込まれた気持ちになり、
苦しく恐ろしくなってリンクを切りましたが、今はまた別の気持ちで。

さて、

私の得意分野は、どちらかと言えばメンタルヘルス系です。
自分自身のプロフィールにも掲載させていただいている通り、
依存症について、母子家庭についてが得意分野でしょう。

そして、キリスト教について少々、と言ったところでしょうか。
私自身の信仰心は正直「少々」ではありません。が、
偏りがあるのは承知しているつもりです。ですので、今回は「少々」と表現しておきます。

私は、自分自身の人生が、もはや自分自身のモノでは無い事を
時折「雷に打たれたがごとく」感じます。そして、今何をすべきか、
何を目標にし、どんな行動を取っていく必要があるのか、はっきり感じる時があります。
そしてそれが、私の願いのようであり、実は神様の願いである事も知っています。

「痛み傷つき複雑になった世に出てもなお、私は神を信じられるか」

今回の投稿のテーマです。

教会は素晴らしい場所です。そして、教会での人間関係は、
他の社会生活では味わえない絆を生み、またそこでの活動も然りです。

しかし、本当に痛み、救いを求めているのは、真理を探し損ね落胆しているのは
「世の中」です。
時間に追われ、責務に負われ、ルーチン化された日々の中で更にプレッシャーがかけられる。
確かに、その生活を捨ててしまえば、その一個人はスローライフを選択し、
心の平和を取り戻す、なんて物語がよくありますが、


それは本来、本当に欲しい答えなのでしょうか。
それは、神様が世の中に具現したいものなのでしょうか。
いえいえ、その方々を否定したりする気持ちは全くありません。
私が疑問を感じているのは、都会の空の下に居ると、大企業に居ると、
すさんだ国家に居ると、平和も味わう権利が無く、真理も泥まみれでわかりにくくなり
得る資格さえ無くなると言うのか、と言う事なのです。
それが答えなのか、と。

続き
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by eremiya2002 | 2010-02-27 10:42 | クリスチャンとしての私 | Comments(4)

良い恋愛をしていると思います

何度もお話しているように、
久し振りに恋(片思いから少しは変化したかな?)していますが、

「待つ」ことを通して、私は
その行動の重さ・深さ・貴さ・・・つまりは

神様の考え、
なされる事を信じるという事の素晴らしさ、
その事をさせていただける有難さ、
そう思えるように人生を変えていただいたと言う感謝
(・・・・と言う言葉では到底表現できない程の圧倒的な愛に包まれる生活)、

を募らせるばかりです。
恋なんて、なんだかバカげているとは思わずとも、
それに近いような恥ずかしさ、レベルの低さを思わずには居られない私でしたが、

正しく進めていった時に感じるのは、なんとこの恋も
やはりやはり、神様に対する感謝を深め、
その力の凄さを味わい、
自分が被造物である事を感謝と共に受け取るためのモノである事を
気づかされます。

それなのに、こんなに喜びを持たせてくださり、
苦しみも人を理解し自分を育てる力として私に戻してくださる神様

頭を垂れるのは至極当然。

あんなに男に溺れ、何人と寝たかわからないような私を
子連れで、幾十にも不倫や男遊びに溺れていた私を
こんなに純粋に正しく変えてくださって。

メールも週に1度か2度、簡潔なものだけ
とても連絡嫌いで誘うのがニガテな彼なので、
合間を見て時々一緒にいるだけ、
好きも嫌いも聞いたことがないのに、

私は好いてもらえているのが分かるし、
何よりも、そんな彼が大切で仕方がないのです。
一緒にいる時間も本当に僅かだし、私も彼も電話嫌いなので
(そもそもお互いそんな時間もないし)
ほとんど日常の事や過去のことを知らないのですが、
この数ヶ月の間に信頼が生まれているのもわかるのです。

すごいね、すごいよ。
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by eremiya2002 | 2010-01-23 22:53 | クリスチャンとしての私 | Comments(0)

転入式

今日、漸く仙台の某教会へ転入いたしました。
色々皆様にご心配お掛けしまして、申し訳ありませんでした。
そこ、ここの教会へ行ってみたり、また、色々考える時期だったのでしょうね
教会を離れて過ごす事もあったりと、

キョリや価値を見直した、必要な時を過ごしていました。

正直、パッとしない教会だけど、ほっとする。
なんとなく本気で話かけると、一所懸命聞いてくれる人がいて
泣けちゃう。

そんな教会。(それは、もともと居た教団にまたたどりついただけなのですが)
ひとりでプラプラしてすごしたから 
これで充分と言う気持ちでたどりつきました。
前の教会みたいに新しいものにはとても疎い教会だけど
顔見知りの方も沢山いらっしゃるし、以前の教会とも交流が多いし。

私は、良いクリスチャンではありません。世間に本当に近いだろうと思います。
でも、これからもそういうクリスチャンでいたいと願っています。
それが私のミッションだとも感じています。

私は、クリスチャン用語を前面に出す、クリスチャンにはならない。
(なれない・・・汗)
人が好きだし、世の中も大好きです。
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by eremiya2002 | 2009-11-15 23:52 | クリスチャンとしての私 | Comments(5)

コメントから抜粋です「信じている事に危険が及んだ場合」

私自身がAAにたっぷり漬かってから、教会へ戻った時、

(戻ったとは言え。。。。、その前はほんと遊び程度にしか行ってなかったのです。
理解もしていないし、疑う気持ちが殆どで、信者を鼻で笑うの普通の人でした)

初めてまともなカウンセリングを牧師にしてもらったのですが、
その際、牧師から
「あなたは価値のある、素晴らしい存在の人ですよ」と言われました。
私はすぐさま悪寒がし、
「私は素晴らしい人である前に、アルコール依存症者です」と
感情を全く出さないで、牧師の無知を上から見下ろすに近い気持ちで
言い放った事を覚えています。

その日、AAの問題点(当時、AAメンバーをサポートした聖公会の当時のサポートの問題点や、
AAを通して神を学ぶ時の歪んだ認識、そのデメリットなど)をさらさらと沢山書いてある厚い本を渡され、
「是非読んでみて」と言われ、半分も読めないで具合が悪くなり、
次の日誘われていた教会の行事は勿論、暫く顔を出せなくなり、数日不眠にうなされました。
本当に辛かった。


信じている事に危険が及んだ場合、また、真っ向から否定される時・・・・・

そう信じるまで、その価値観を確立するまでに
非常に苦労も努力もしている場合はなおさら

人間はかなり感情的に乱れるし、体調も崩します。

私が今回注意した彼女もそうでしょう。

激しい抵抗感も生まれるし、楽しくもありません。
そういう風に心を乱した人間を否定したくもなるし、
関わりを切りたくもなります。切る時もあるし。

自分の信じているモノが否定されたり、拒絶されたりする事に対して
耐性のある人なんて、いないですよね。
私も、あの牧師め。。。。と、私も今でも思います。その時の辛さを思うと。

キミがイエス・キリストを信じた過程と、私がAAを信じた過程、この価値を確立するまでの
重みがチゲーんだよ!と、戻って言ってやりたいくらいです。

ただ、自分にとって本当に本当に必要なものは
無理に取り入れなくても、自然にスッと入って来て、
凄く大切に持っていたものでも、あれこれ邪魔じゃない?と
急に不必要さに気づく時が多くあり

つまり今は、良かったな。と思っています。


だから、何も恐れず、そして、何か急いで取り入れる事もせず、
ただ、それぞれの人にそれぞれのペースで必要なものを
神様が与えてくださると信じれば良いと思います。

時折、人を通して大きなバケツが頭上から落ちてくるような時は
誰でもありますから、それは課題として脇に置き、
与えられた時間内で考えればいいと思うんです。

何事も一理あり、ですから。良いものまで排除しないようにしたいですね。
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by eremiya2002 | 2009-08-22 00:31 | クリスチャンとしての私 | Comments(2)