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アルコール依存症。

私は、離婚してから非常に仕事に困った。

私は、自分の小ささに目を背けていた。
家族に恵まれていなかったので
母子寮とかも考えなくちゃならなかった。
両親はずっと不仲で
共に借金(父:ギャンブル 母:男、買い物)で
一人娘に必要なことをするお金なんか
なかった。

そんな親に育てられたので
お金が無いとか、貧しい生活とか
怖くて拒んでいた。努力する、と言う世界は
我が家では全く教わらなかった。
小さいところから始める?
私はそんなお粗末な人間じゃない、
なんて、最初から選択肢に入れてなかった。
全て正体不明の恐れからである。

もう精神病(アルコール依存)が結構進行していたと思う。
ちなみに、この病気はお酒を飲むのは最後の症状で、
簡単に快楽へ自分を逃がす思考回路は
長年積みかさなりへ泥のように自分を固く縛るもので
飲むか飲まないかなんていう、味噌汁の上澄みみたいなところを
論じてもどうしようもない病気なのである。
電話の依存も、男性に対する依存も、虐待もひどかった。
あの頃私のそばにいた子供達のことを
暫くの間、思い出すのは
恐ろしくて脳裏を掠めるだけでも本当に辛かった。

今だから直視し、時々大粒の涙を流せるのである。

そんなこんなで、23歳、最初はキャバクラで。2ヶ月ちょっとだったと思うな。
バカな女だらけだった。ま~私も含め。
でも、ずっとここには居られないとすぐ思ったけど
自尊心の低さはいつもよい選択をする事ができず
地を這うような選択をしないと生きれないと
脳に指令を出してしまうから
随分悩んだ気がする。
とりあえず
自分が夜の仕事をする羽目になったこと事態ショックでたまらなかった。
昔から相当小バカにしたり、白い目で見たりしていたから
まさか自分がそういう選択をしなければならない
立場になるとは。
心の中のあちこちから、お前はもうおわったよな
と聞こえた。飲まないと惨めさと不安が押し寄せてきて
日を過ごせなかった。
男も結婚するのしないので2人くらいつきあったっけ、2ヶ月の間に。
すぐ寝ちゃってね、すぐ子供がらみの付き合いにして。
私が離婚する前から
子供達は本当による夜中まで
私の不倫のせいでひっぱりまわしたりしてしまった。
思い出すと本当に辛い。

その時に戻って、その時の私と一緒にいる小さい子供達を
抱きしめたいくらいである。
その頃はまだ離婚が成立していなくて
ようやく2人連れてきた生活に多少のリズムがついてきていたから
私の中にもなんとか子供をそだてていけないか
と言うキモチが(母には反対されたけどあって)
調停で、子供を返せって言われたらどうしよう、なんてうんと悩んでいたっけな。
結局だんなは金をいかに取られないようにするかばかりで
子供の子の字も調停の時言ってこなかったっけね。

その後、キャバクラをやめ
それなりになじみながらも、ちょっと大人のスナックを紹介してもらった。
紹介したのが自分の母親だっつ~から笑えるけど。

この母親ときたら、子供二人相手においてこいとか、
おかしいから精神科へいけとか
金が無いから、なんていいながら、幾度と無く海外旅行(不倫旅行)
に1ヶ月単位でしょっちゅうでかけたり
まあ、いつ殺されてもおかしくないようなヤツだった。
今もだけどね。

その後、スナック勤めで、スポンサーを見つけ2年ほど付き合った。
親ほど年の差がある人と付き合う羽目になるとは
思いもしなかった。
お金のない恐れからだった。好き嫌いなんてなかった
親しい、お父さん的な人、だったのである。

でも相手はそうじゃなかった。ショックでたまらなかった。
世の中の鉄のような冷たさと固さを味わった。
”こうしなくては、私は生きていかれないのだ”
そういう言葉が、ズシーンと釘打たれたときだったと思う。
前から既にかけ離れて居る事を感じてはいたが
更に、同世代の友人達とはまるで違う境遇に私がいて
どんどん離れていく事も感じたときである。


相手は横○・・・その後鎌○に住んでいた。
建○家だそうだけど、その後元気?
なんて読むわけないか。
よく、飲みに行ったっけ。お酒の飲み方、夜の遊び方
男と女の事、夜の世界とは・・・・etc 
のみながら大分覚えたな。なんの足しにもいまはならんけど。
カレは1ヶ月に2度ほど、借りたマンションに来たけど
愛していない人に体をあずけなけらばならない辛さと、
自分の人生があまりにも複雑で惨めな事から
不安と孤独に耐えられなくて
違う男をそこへホイホイ連れ込んだので
(これって酒を飲むからまた精神が回復しない)
結局、マンションを借りてもらってもすぐ解約。
その後、アルコール依存の真○屋の息子に(これもまた付き合っていた)
アパートを借りてもらって暮らしたっけ。

その頃に、虐待とアルコールのひどさ、精神が普通じゃないことに気づいて
その鎌○在住;建築家のパパの提案もあり
私は上の子を夫に戻す決意をし、
手元に娘だけ残して
6年前、別れたのである。
”~ちゃん(私のこと)のその状態じゃ、子供幸せにしてあげるどころじゃないよ、自分でよく考えなさいよ。一人ならわかるけど、2人じゃね。”
その言葉は、的をついていました。その当時の私の。

大好きだから、痛いほど愛しているから
私と、私を取り囲むひどい状況から
救ってあげなくてはならない、
まともに育てられないとしたら
私から離してあげることが
そのときの私が、この子に対する最後で最高の愛情でした。
普通の人には全くわからない心理だろうけど
虐待をしちゃう親にはわかるんじゃないかな。

決して、忘れる事の出来ない別れである。


アルコール依存症は
家族の病気である。
精神科を受診し、
必要ならば、入院をお勧めする。
癒される必要があり、
自分を休ませる必要がある。

私の人生が大きく逆行し、回復したように
アルコール依存症も
電話依存も
男性依存も
虐待も
全て回復に向かわせる事が出来るる。

私は、世の中に居る
自分を愛せない恐れでいっぱいの人たちに
愛を伝えたいのです。
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by eremiya2002 | 2005-02-22 23:35 | 自助グループ | Comments(0)

夕べは調子が悪かった

夕べは調子が悪かった。
危うく昔のパターンの渦に巻き込まれそうでした。セーフ。

今、私と関わる事を拒み続けた母となぜ過ごしたり会話したり出来るのか。
今、子供二人を連れて、信じるものなどとっくになくし、お酒に溺れ、月に2度来る虚しい愛人生活をしている娘の家に来て、お金を盗みギャンブルをしていた父を、なぜ私が笑顔で娘のピアノの発表会に呼べるのか。

私は作っているのではありません。
役者してもいません。(もともと忍耐強くないし)

神様に会えたから。
神様は、人を介して私を救い上げてくれた。
救い上げられて初めて、救ってもらわなくちゃいけないくらい
落ちこぼれてねじれていた事を知った
というのが正しい。
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by eremiya2002 | 2005-02-20 02:21 | 私の事(つまり日記デス) | Comments(0)

母との関係

母との関係は奥底憎悪に満ちている。
今日はまさに因縁のバトルをやらかす寸前だった。

私の母は、おかしな家庭にそだった。だから子育てってなんだかわからなかった。
父がちょうどよくギャンブルにはまって借金を大々的にし始まったので、
彼女の問題は父のせいにできた。
でも子供の私にはわかるんだぜい。
父がだらしないのにかこつけて
男、遊び、借金、数限りなくわがままし続けたでしょ。
挙句に、一人娘の私は、公立高校の授業料でさえ、まともに払ってもらえない状況になっていた。
当時付き合っていた彼氏が、遊びに行く彼女のうちに、
夕飯ひとつも用意されてなくて、お米もないのに言葉を失って
お米持ってきてくれたっけ、バイトのお金で。高校生だからお金なかったろうに。
でも母は言い続けた、言い続けてる。

パパが悪い。ママはがんばったのに、と。
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by eremiya2002 | 2005-02-19 00:44 | 私の事(つまり日記デス) | Comments(2)

子供との別れ

子供との別れは本当につらかった。2歳と1歳の子供をつれて離婚してきたけど、もともと大変問題の多い家庭、両親も既に離婚していたし、母ときたら大の子供嫌い。
自分の娘も煙たがるひとで、ちょっとひどい綺麗好き。男が綺麗好きだったからだ。彼女の場合は何よりも優先されるのが男で、子供は邪魔だった。勿論孫なんて・・・・。はやくだんなに返して来い、なんていわれたっけ。
一人で二人そだててみたけど、私の精神病もかなりの進行度合いを見せていたため、厳しい現実やストレスに耐え切れない状態になってきていた。お酒なしでは日を過ごせなくなってきていた。でも、いやな人との結婚生活をする気にもなれない。
あきらめたくない、でも何かと忍耐する力が異常に無い、自分が嫌い、人が嫌い、幸せな人が憎い、親は・・・・・もう殺したかった。
結局、とてもかわいかった上の息子だけ夫へ戻す事にした。この人生に巻き込みたくない、当時決死の覚悟である。いくら心がすさんでいても、虐待していても、親は子供を愛しているのである。

世の中の虐待を繰り返す男性女性に伝えたい。あなたたちは、子供を愛していますね。わかります。出口が見えず苦しいですね。

私の病気、幼少期から続くパニック発作、心因性のうつ、
そして、厳しいアディクション・・・幼児虐待、電話依存、男性依存、アルコール依存である。

息子が生まれたのは震災の年。だから子供も10歳。そういう意味でも震災を私は忘れる事が無いと思う。みなさんの被災の経験で、どれだけの知識と勇気を後々知り得てまたいただいたかわからない。この話はまた続けますね。
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by eremiya2002 | 2005-02-05 01:39 | 私の事(つまり日記デス) | Comments(0)