人の死に、いてもたってもいられない

兵庫県でJRの鉄道が大変な脱線事故だ。目が離せない。
こらから家族の方々は、地を這うような苦しみを
味わうのかと思うと、一緒に肩が床につきそうである。
必ず神様がそれを格別の意味があるものとして変えてくださるのは
わかっているが辛いことである。
そのプロセスのなんと過酷な事か。
他人は数日テレビを見て情報を収集すれば
何か満たされやりつくしたような気持ちにもなるが
当事者は数年間もがき苦しむのである。
毎日、抱きしめてあげたいくらいだ。

イラクの戦争でたくさんのイラクの人たちが亡くなり
バグダードバーニング by リバーベンド
そこへ行く色々な国の人も亡くなっている。
北朝鮮へ拉致されて安否がわからない沢山の日本人もいて
その国では驚くようなあらゆる惨劇が繰り返されている。
スマトラ島では大きな地震と津波が何十万と言う命を奪ったのはついこの間だ。
まだ再建どころの話じゃないはずだ。
日本では、心のねじれた犯罪が後をたたなくなってきた。
追いつかない、どうやっても追いつかない。
救いの手が届かない。
でも、命ある限り、この世の中で自分のやれることを
していく必要がある。
自分が被害者になる可能性があろうがなかろうが。

学歴や高所得に目を奪われていたおろかな時代の
結末が今来ているのと同じように
今世の中で起こっているさまざまなトラブルに真剣に取り組んでいかなくては
それを刈り取るのも私達であり、私達の家族なのである。
今の若い人たちを無気力にしたのは
人間が”よし”と考えたもので人を評価してきた結果である。
学歴、家柄、などなど。

神がよしとしていないものを高くかかげれば、
その結果などこんなものである。
陳腐な造花が出来上がり、それを一番よいものにしておく為に
また無駄な時間と金をかけるだけだ。
そして、ますます心に大きな穴をあけて
虚しさが込み上げてくるだけ。
まさに、

”自分の命を自分のものにしようとするものは、そのためにそれを失う”

のである。


日本人は大きな問題、・・・・・特に死を正面から見つめない。
出来るだけ触れないようにし、深く思うことをタブーとする。

ああやれやれ、自分じゃなくてよかった、
なんていっているヤツいるだろうな。

暇をもてあましているくせに、人のことが他人事にしか思えないのは
心が未熟で幼稚なせいだ。
日本と言う国は、本当に幼稚な国だ。
だからいい年した人が車にキティちゃんをのっけたり
○○子りん♪なんて、もう成人になるような人間が
3歳4歳のしゃべり方をしたと思えば、
それをカワイ~なんていうヤツがいる。


私はカトリックの教徒ではないけれども
マザーテレサという女性は本当に尊敬している。
彼女も言っていたけれども
一人一人の幸せが、世界の平和と幸せを作る。
奇麗事ではない、事実なのである。
ひどい世の中を直視しよう。
辛い出来事から目をそむけては駄目だ。
全ては、私達の問題の鏡で
私達の怠惰の証明で
私達の責任なのだから。

暇な時間なんて、人生にはない。

生にも死にも、大きな計画と意味があることを
多くの人が知る事が出来ますように。

私は、近所の人たちを大切にする。
小さなつながりを見落とさないようにする。
こういう一つ一つを大切にするかしないかを神様は正確に正確に計っている。
私も、明日終わりを迎える人生かもしれない。
また、子供が事件や事故に巻き込まれるかもしれない。
一度子供とは別れを経験しているが
だからといってもう辛い事はないとは限らない。









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by eremiya2002 | 2005-04-25 21:56 | 最近の世情・事件 | Comments(2)

子供が憎いか 17歳少年

世の中の子供が憎いひとたちこんばんは。
なんて表現してよいやらわかりませんが、
その気持ち、ヨークわかります。

人の心は本当に計算積みで、想像絶する緻密さで
完璧につくられているなぁ、とこういう事件を知るに度に思います。
17歳のお兄ちゃんは、体だけだったんだよね
成長出来たのは。

中傷ではなくて、自分もそうだったからわかる。

この世の中で本当に可愛そうだと思うのは
自分の重荷が「タダの重荷」としか教えられていない人たちのこと。
過去の私もその一人だったのである。

そして、知らないうちに
自分を責め
憎み
その反動で家族を憎み、世の中に怒る。
小さく大切に扱われているものが憎い。
自分の生活には、当たり前のように”ありえないこと”だったから。

傷と重荷を負った人間は
小さかった自分を傷つけられた時の悲しみや痛みを
知らないうちに次の世代へ引き継がせようとするのである。

それなのに、多くの人たちが暖かさを自分の家族だけに注ぎ、
何も知らずに寂しい家族の中で育ち
心に大きなわずらいを持ち、孤独においやられた人間を
理解しようとせず、軽蔑し、排除しようとする。

孤独と深い胸の傷は人間をねじれさせ、
本人にも自分の心の居場所がわからないようにする。
何が原因でどこで道がわからなくなったかわからない。
特に、子供の心がねじれるような家族に籍を置いていた場合
この原因を探り当てる力は当人にはもうないといっていいのではないか。
まして、その心を健康に導く事など無理である。

まっとうな家庭に育った人間はこれを知らない。
だからますます世の中は悪くなる。
でも、神さまの愛を知らない人に
人を本当に救う事は出来ない。
物質や家族にある程度守られていても
それは心の大部分を満たしていないから。


ちょっとなら面倒見てもいい
ちょっとなら同情してもいい
でも、いっぱいは嫌だ。
だって他人だから。
そう、とりあえずうちの子さえ、まともに育ってくれればそれで・・・・・
それで・・・・・
それが世の中を悪くし、方向を見失わせ
弱い立場の人を更に窮地へ追い込んでしまう。


辛い中、生き抜いてきたんだろうに、と思う。
子供に手をかけるなんてもってのほかだ、それに弁明の余地はない。
でも、警告を発し、孤独をメッセージしている。
そういう人に正面から向かっていかなければ
世の中は悪くなるいっぽうである。
被害者の立場を救う為に働き、その運動に努力を積み重ねる人と
犯罪を繰り返す悲しい心に光を差し込ませる仕事と
両方が必要不可欠である。
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by eremiya2002 | 2005-04-23 00:36 | 最近の世情・事件 | Comments(4)

明日はそうじ

明日は掃除です。
やだな~。
そんで、明日は野外で礼拝をやるという計画があるので
お弁当作りまでしていたらこんな時間に。
私は土曜日も午後は働いているし
その後教会で学びがあったりするので
(先生、いつも遅い時間までありがとうございます)
土曜の夜の終わりは結構おそいんです。
だから礼拝も飛び込み。
どっちにしても、私は時間がルーズなほうなので
あちこち飛び込みなんですが。

ではネーマース~。
おやすみなさい。。。。。。
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by eremiya2002 | 2005-04-17 01:51 | 私の事(つまり日記デス) | Comments(0)

虐待

私は、虐待を受けて育ちました。
また、子供に虐待をしていました。

私は、虐待に苦しむ子供達に癒し・解放・希望を
虐待をしてしまうことに囚われて苦しみ、自分を大切に出来ない
辛い大人になってしまった人達にもそれ以上の憐れみと、癒し・解放・希望を
一人でも多くの人にもたらしたいと願っています。

そういうからには、私の虐待は止まっているということです。


子供に大きな傷を残してしまったお母さん。
子供を・・・・・もしかして・・・・・・殺してしまったお母さん。
私はあなた達を愛します、愛しています。
神様はまた、あなたに会いたいと思っています。

私達は、小さいころから整理のつかないほど虐待を受けた
心の中の子供をずっと悲しませたまま、
外側だけが大人になりました。
普通の人のように、安住することも無く
体だけが。
そして、この競争社会へ追い立てられましたね。

神様は、こんな私達だから抱きしめたいと思っていてくれました。
私を求めにおいで、と言いました。


DV(ドメスティック・バイオレンス)は連鎖します。

今となっては、この連鎖は、私の中では当然のことで、
摩訶不思議でも、突然起きた異常事態でも
何でも無いことになりました。

でも、自分の力で乗り越えたとか、
諦めたとか、そういうことは一切していません。
神さまに助けてもらい、整理をし、受け入てきたのです。

私が信仰の世界に入ってわかったのは
神様の力を借りないと、過去の傷を良く見ることは出来ない
と言う事です。
そして、その傷の状態を良く見て、治療を施さない限り
私達は(サタンに)囚われ、巧妙に操られ、
本当は自分でそうしたい、などと思っていない方向へ
行かないといられないような状態へ
どんどん入ってしまいます。

虐待をしたい親など、実は居ないということがよくわかります。
私がそうだったから。

よく、複雑なトラブルに巻き込まれず育った人は
その悪循環につかまった理由も想像することが出来ず
無かったことのように、この大きな被害から目をそむけ
”なぜ自制ができないのか”
と投げ捨て終わります。
”自分達さえよければそれでいい”と。

神さまを受け入れていくプロセスは、とても怖かったです。
私は”信じる”ということに、深い痛手を追っていたからです。
お酒をやめて最初の頃は
ふたを開ければ、ドロドロとした深い傷口があって、
恐れからくるフラッシュバックで大パニックを起こしました。
事あるたびに思い出し、その記憶は私を苦しませました。
激しい鬱(うつ)、苦しいパニック発作。

私は、父からは暴力を受け、母からは放置されました。
父親の暴力や性的なイタズラにあっていましたが
母親は見て見ぬ振りでした。
もう、物心ついたころから、虐待はありました。
トイレに閉じこもる(そこしかカギがない)こともしょっちゅうでした。

でも、今はこの事を感謝しています。
そういう風にしてもらえる、それが神様の愛です。
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by eremiya2002 | 2005-04-12 22:54 | 私の事(つまり日記デス) | Comments(4)

AA/アルコール依存症について ★重要な補足★

こんばんは。今日ももうこんな時間になってしまいました。

さて、先日、AAの問題点をだらだらだらっっと書きました。
ただ、ちょっとこのブログでアルコール依存で検索したら
結構投稿している人が居る。
そして、このプログラムを信じ始めている人が居る。
はっきり言って、こういう良い状態の人には
AAの批判は辛いはず。だからコメントしておきたかった。
先日のコメントは、AAで数年過ごしていたりして
そこに限界を感じている方
嫌になっていかなくなっちゃった方
または
とにかくAAがイヤだ
と言う人にお勧めの投稿だと思う。
それに、AAの文献の中にも
AAはほんのつなぎ目でしかない事を
表明している部分がいくらかある。

そういう私は、本当にAAを愛し、AAに感謝していた派だった。

辛くて行き詰っている事も、全部自分の欠点や短所のせいで
イコール駄目なやつ、弱いやつ、漸く生きているやつ
と、心の奥深くで思い抱え、それを認め、出来るだけ感謝を捜す
と言う努力をするから、生きているんだぞ、生かしてもらえているんだぞ
と言う、まあなんとも神様の考えとは今は到底思えない寂しいところに立ちながらも
AAを肯定していた。
だから、AAを否定された文献を読むと一晩二晩ぐったりするほどだった。

何度も繰り返し言おうと思う。
アルコール依存や~依存の人が依存を絶つには、
この自助グループでのセルミーティング方法は
唯一の、と思わず言いたくなるほど
相当の効果を発揮し、まるで生まれ変わったかの如く
世の中に送り返してくれるところである。


AAを愛している人たち、消してAAが悪いとは
私自身思っていないし、逆に、断酒の為には最高の場所であると
言い切りたいくらい的をついているところなので
安心して欲しいし、信頼して、その場を愛して欲しい。
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by eremiya2002 | 2005-04-11 23:58 | 自助グループ | Comments(0)

嫌な気分になるとき *アルコール依存関連*

私が嫌な気分になることがある。

それは、AA(アルコホーリクスアノニマス)と言うアルコール依存症者による
断酒・リハビリの為の自助グループの中で行っている事。

でも、覚えていてもらいたいのは
お酒をやめ、暫くの間は
AAや断酒会に勝る禁酒の方法なんてあるのかな?!
と思っちゃうくらい、こちらの方法は成功率が高い。
だから、医学会から・・・・、メンタルヘルスの観点から言っても
評価と理解は相当なものになってきているのではないか、と思う。
NHKとかにも取りざたされているしね。
とにかく、信仰なんてどうでもいい、
早く孤独から救ってくれ!
この恐怖から開放してくれ!
この人生の虚しさと、他者との比較から来る恨み、妬みの混乱から
逃げさせてくれ!

と言う方には、私は教会よりAAへ行く事をお勧めする。
いいえ、キリスト教に抵抗はございません
と言う方は、AA教に洗脳される前に
(私がその洗脳から解放されるまで
ちょっと大変だったからである。
今もまだ深いところに残っているものもあるし。)
ちびちび教会へは行ったほうがいいと思う。
*でも、離脱がひどいから、最初の病院治療は不可欠ですよ!!

ただ、教会はアルコホーリク専門教会ではなく
オールラウンドで魂の救いを受け持っているので
アルコホーリク(アルコール依存症者)の特徴に対しては
知識が疎いところがあるのは十分理解しておいて。

AAは、同病者の集まりであるから
”求めさえすれば”非常に近しいもの同士
ということがまもなくわかるだろうし
この病名からは想像がつかないほど
楽しみ、喜び、過去を笑えるようにしてくれる。

私は、24歳でアルコール依存症と診断された。
別に手が震えていたわけではなかったけど
頭の中は完全にしびれてた。
酒、電話、男、酒、電話、男だった。
詳しく言えば、アルコールを使って麻痺させていないといられない
苦しみやトラブルや悲しみを背負っていた。
そのために、心が常時不安であり、満たされない気持ちと
世の中に対する恨みと妬みでいっぱいだった。

最初のうちはずっと
心の痛みを和らげる道具だったが
アルコールは逆に私を病気にした。当たり前だよね、今思えば。
アルコールは健康食品じゃないもの。合法だけど
依存性のある麻薬だもんね。

本当は、人生には
アルコールも
たばこも
ドラッグも要らない。

必要になって、それがなければ生きられないという状況に
なってしまっている時、、アルコールが体を支配し、
水先案内をしている。その先は、精神の死、肉体の死である。

よもやまさか、この自分の側に、自分の生き方に、
解決策があるとは夢にも思わなかった。
だって、相当親にひどい目に遭わせられてきたんだもん
まずは親でしょ!!と。

でも、私は若かったけど、親は絶対真剣に考えてくれなかったね。
は?アルコール依存症?へ~不幸な女(笑)
っつ~感じだったよ。でも、あ~だよ、こ~だよ、って説明しても
”わかったわかったもういい”なんて感じだった。
おっと思い出すと腹が立つので本線へ戻ろう。

これを病気と位置づけ、
その心の症状を分析し学び、病院を開いて
理解を示し、受け止めてくれ、案内してくれたDr.、
ソーシャルワーカー、福祉関係施設のみなさんに、
感謝の気持ちでいっぱいである。

そしてAAは私を、回復の為にリハビリをさせてくれ
なんとか社会生活の出だしに引き上げてもらい
信仰への入り口へ導いてくれた。

そういう理解と回復の窓口が無かったら
私は既に自殺未遂も繰り返していたし
発作的に母親のところへ行って灯油をまき、
火をつけ殺してしまおう、と思うことも非常に現実化してきていたし
子供の首を、何かに指令でも出されたみたいに
フッと締めて、自分も・・・なんてこともちまちま始まっていたので
今、こんな生活をしていることはありえないだろう。


間違えてはいけないのは、
この病気、自分が”悪い”のではない。
「自分に課せられている」が、「自分が悪い」のではない。
私達の多くは、自分の人生を詳しく振り返りもせず
人の心がどういう風になりたっているのかとか
どうして問題がおきたのかとか
細かく分析することもせず、必死で探すこともない。

恐れ
(そんな事をしてまた意味のないところへたどりついたらどうするんだ;と言う類のもの)
で、その散策を途中でやめてしまうのである。
それから、なんで自分がそこまでやらなくちゃないの、とも思う。
恐れと高慢が行き来して、その悪循環から脱出を不可能にする。
(聖書にも、AAから出版されている本にもこういうことはちゃんと明記されているね)

ま、AAから出版されている本は、AAが始めるいきさつが
キリスト教の教えを模範とし、信仰をとビジョンを持って始めた
活動だから、同じ事が書いてあるのは当然っちゃ当然。

とにかくだからして、
~しなければならない、~する事は決してできない、こういう風に生きていくしかない
こういう方法を受け取り、そこにとどまる。

じゃあどうすればいいんだよ!
と切れる人も沢山いるだろう。
でも、こちらも聞く。

その人生の困難から開放される為に
ありとあらゆる手段を”本当に”試したか?
本当に困っているならば、精神科へ行き、
社会の福祉に必死にすがり、
教会を訪ね、寺を訪ねるだろう。
でも、それをせず嘆いているなら
それはただの”怠惰”であり、”自己憐憫”であり、”高慢”なのである。
ひどいね~こういうことをはっきり言う私って・・・・・・。
そういう自分も当初そういうことをガツガツいわれからなんだけど・・・・・。


そして、自己責任、ああ、それが運命
どこに行くかなんてわかんないさ、ケセラセラ
自分の好きな事やろうぜ、神様も許してくれるさ
こんなに悪い世の中なんだもの~♪
と言う人がなんと多い事か!!

ち~がうんだ。
生きるとはなに?と言うことを
徹底的に捜し答えを見つけ明らかにし
世の中にそれを示し、神が居る事を伝え、自分も救われ他人も救われていく為に
神様に選ばれた人なんだよ。重荷のある人は。
この世の中で不幸と言われている人たちは
実は相当なラッキーパーソンなの。
だって、神様が選んだ人たちだから。

で、AAの何が嫌かって(↑であんなにほめておいて言うのもなんですが)
タダ単に、教えに神様がいない事が不服なんです。
すげ適当な神様なの。確かにそれは、宗教嫌いな人にはいい。
余計な概念がないから、スッと信仰を学べて
そのために「断酒させるには」成功率がほかに比べても高い。

でも、日本のAAは問題だと思うのは
やはり数年過ごしてきてひしひしと感じた。
大元から離れすぎである。(地理的な問題ではない)
中ではとにかく時間と精神を割けるクリスチャンががんばってくれているけど
そうではない私なんかは、漸く時間を割いていっていたクチだったので
腹立たしいったらなかった。

メンバーがミーティングの中で神様のことを適当に解釈し
話す。それを信じる、また伝える、鵜呑みにする
こういう事の繰り返しが積み重なっている。手に負えない。
しかも私のように?その意見を世間一般に公表する。

アルコールが止まる事実にかんしては何の文句もないどころか
同じ共同体のメンバーとして誇りに思っている。
でも、神さまに関して・・・・神様の計画や思いについて
適当にやり続け、適当に伝えている姿は時折私は怒りさえもつ。
そして、かならずそのメンバー達がクチにするのはこれ。

”いいじゃないか、酒が止まってるんだから、我々は論争は避ける”

ムカツクっしょ。論争じゃない、キミ達共同体が無視している問題;
その現実逃避より出てきている問題について、問うてるのである。
真剣に目を開けろ。といいたくなるっす。
結局、あらゆるシュチュエーションに答えを持っているわけでもないくせに
持っているような事言うやつらがどんどん増えて
自分達が神様の慰めを得て居る事を知らずにいる。
伝統と言う肩書きはたいしたものだけど
道は曲がりながら下がっていっている。

という訳で、AAは数年真面目に通ったかが、
疑問マークをイッパイ持って教会へカムバック。
その中で、せっかくのリハビリ期間も結構きつい思いで過ごしたから
既にあまり行く気持ちにならないんだ。

なにって、そういうやつらの投稿を時々目にする機会があるんだけど
そいつらに大分忍耐したから、
思い出して苛ついちゃうのである(笑)

色んなことについて、この文面は個人の意見だけど
AAの主導権が、現在(実質)神ではないというのは事実だ。
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by eremiya2002 | 2005-04-10 03:43 | 自助グループ | Comments(0)

コンクラーベですか

こんばんは、みなさん。
夕べブログにカキコしていたら2時近くになっていました。
そのため今日の会社は眠かったな~。
今もネム・・・。
思わず”大奥”で1時間ほど動きが止まってしまいましたよ。
でも随分がんばって、この新年度の準備をしました。
ゼッケン縫いが一番きつい、働く母子家庭としては。

私は、音楽が幼少より好きで、楽器を使うのも大好きでした。
大きくなるにつれて歌うチャンスにも恵まれて
歌も物凄く好きでした。うまくもなりました。
本当は小さな頃から音大に行きたかったのですが
まあ、こんな家庭に育ったので
私のやりたい事に目を向ける人なんかいませんでした。
だから当然無理でしたよ、でも当時これしかない!!と思うほど好きでした。

でも、中学の時からグレていて
高校へ入学する前のオリエンテーションの時には
違う中学の女達に”なまいき”と言うことでフクロにされたりしていて
クラッシックを愛する乙女とはナリが随分違っていて
相当なギャップがあったらしいです(後輩談)

私は私が在住する県の一番偏差値が高い高校へ行き
オケ(オーケストラ)部に入り
東京芸大へ行きたい、なんて抜かしていました。
結局、滑り止めの学校が素行不良で私を拒否、
そのため第一志望一本での受験だったのもあり
もう一ランク下げて受験。
そこにはオケがなくて、合唱部しかなかったのがターニングポイント。
グレていたけど高校には行きたい、行かねば、と思っていました。
なぜだかわからないけど、行かないという選択肢は全くなかった。
その辺が”ただ恵みによって”私が救われ導かれていたのですね。

中学くらいまではチョチョッとやれば挽回できる勉強だけど
高校はそうは行かない、
忍耐、持続、継続(おなじか)、ビジョン
とにかく精神力が必要。
よく言う機能不完全家族に育った私は
既に心の息切れ状態がMaxに来てたから
入学できたとしても退学するくらいの状態だったかな、と今は思います。

この学校で、歌に本格的に取り組めたのは素晴しい恵みでした。
そうでなければ、今教会で歌ったりもしてないだろうな~、と思います。

とにかく合唱は面白い。クラッシックもゴスペルクワイヤも。
合唱をやると必ずと言っていいほど宗教音楽をやる。
コンクールの課題曲にもなるしね。
そこで初めて聖書の世界、信仰の世界の中身をチラリと見たのですよ!!
歌を作っていくのに、ラテン語のポリフォニーを和訳する。
愛し、慕い、あがめ、求め、愛され、信じられ、守られ・・・・・
そんな事が歌詞の中に沢山あって、私は本当に驚きました。

”目に見えないものに対してなんでこんな???まるで、人のことを好きになったみたい”

まさにその通りだったのですがね!!
これがキリスト教との出会いでした。

本当に、クリスチャンになって一番いいのは
イエスさまの人格を聖書の中から想像し、
イエスさまを送って下さった神さまの考えを知り、
存在が無いのに、形あるものには決して出来ない
完全な存在として想像し、話し合い語り合える仲となり、
全てを支えてもらえると言う事です。

泣くときもイエスさまに、
怒るときもイエスさまに、
嬉しいときもイエスさまに、
辛いときもイエスさまに。

23歳で離婚をし、24歳で子供と別れ
パニック発作と、電話依存・男性依存・虐待・アルコール依存・・・・
とどんどん精神病を膨らませ世の中からはじき出された状態になったのに
残された子供と再建に向けて立ち上がり
前進していったときに
この神さまがどれだけ私の慰めになり、励ましになったことかわからない。

今はフツ~のOLしてますから。
23まで社会経験ほぼゼロ、(アルバイト程度しか知らない)
パソコンも電源の切り方一つわからない
精神病持ちの母子家庭の私が
水商売から、プールの監視員(ただ見てるだけ~)、
工場の現場作業員、そして、OLと引き上げてもらえました。

これは、ただ”若いから”だけでは突破できない重い重い荷物でした(泣)
両親とのもつれにもつれた関係も背負っていたし
他人と比べてとても悲しんでいたし。

それはさておいて、
そういう訳で、音楽を通じて信仰の世界を知りました。
その後、そのプロセスはまたの機会にお話しますが
近所の教会へ顔を出すようになったのが運の尽き?ううん、逆(笑)
そのまんま同教団の教会の礼拝しか出た事がありません。
だから、カトリックに凄く興味があれども
ま~だ、カトリックのミサって行った事ない・・・・・・
そう、私はプロテスタントに所属しているんです。

実は、合唱を社会人になってからもやったのですが
ローマ法王に献歌の為招待されるほどの合唱団に居たりしました。
私が入団する前に謁見に行っちゃってたんですが(涙)
だから、プロテスタントの信者だけど
カトリックには非常に親近感と好意を持っています。

しかしでも物凄い組織ですね、カトリックは。
コンクラーベには思わず反応してしまいました。
根比べ?
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by eremiya2002 | 2005-04-09 01:30 | 私の事(つまり日記デス) | Comments(2)

結局母とは絶縁② AA(アルコホーリクスアノニマス)との関係

こんばんは。今日も皆さんお疲れ様でした。
さて、今夜も少し続きを書きたいと思います。
ついでに、AA(アルコホーリクスアノニマス)の事もちょっと。

うちの母(以後ママ)は、祖母(ママのママ)が死んでも
結局海外から帰ってこなくて、火葬も私が通う教会の人たちに
手伝ってもらい、ホントに静かにこっそり行いました。

うちの母は、
母子家庭で、自分の事さえまま成らない私をひっ捕まえて
以前から、海外へ移住したいだの
海外旅行ならスペインがいいだの
移住したらばあちゃんは任せるだの
金を置いていくから週に3回は花に水をやっとけだの
この食器は安くなってて2万だったの、3万だったの
年に2、3回は海外旅行だの言う女です。

・・・・・・・・・・・と言うか
私が小さいときから
自分のことばかりに金をかけてきた女。
ギャンブルで大借金して今も半分浮浪者の父親。
男に身を預けないといけないような状況になっても
いいな、金あるからアンタ
とのたまった女。

(私にとって一人娘伝説は面倒だった。迷惑だった。)

帰国してから、ママの旦那は他人だからま~いいとして
ママは、誰に何をしてもらったのか結局理解できていないようだった。
(わかるけどわかってないんだな、ありゃ)
その後も機嫌が悪くなると
軽く1時間クチを聞かなくなったりする旦那サマの機嫌を必死に取って(共依存)、
ムスメも孫もどうでもいい状態。どうでもいいどころか
一緒に機嫌をとらされる。ま~迷惑!!
自分の母が死んで、その上 死に際に居れずに
心の中が罪の意識でいっぱいな事を吐露していた。
(国際電話でぐったりしていた、あんな落ち込んでいるの初めて見た)
”ゴメンナサイ、あなたが居てよかった”
なんて、生まれて初めて心の深いところからの謝罪を言ったけど
(多分、それくらい自分の母親の死は重かった、今も重いだろうな)
優先順位①男 ②金 ・・・・と順番がくるったまま。
私の大好きなクリスチャンのおじさんがよくいうのだけど

”自分ができない事、していないことは、必ず誰かがしてくれている”

私はよくこれを思い出す。
相当に深い意味合いがあるからだ。
ママを見てればそれをよく感じる。

自分の人生が狂っている事、他人に大きな負担をかけていることが、
この母には見えないのである。
自分の人生に課せられた試練を
いつも他人のせいにし、自分の責任と捕らえられず逃げていれば
あらゆる形に変化して、他人が巻き添えになり
他人が責任を負い、自分の心を死へ向かわせてしまうのである。

私はそれは嫌だ。
子供達に重荷を継承するのは嫌だ。
どうしたらいいのか
その答えは、イエスさまが持っていた。


ケンカしながら、私は心の中で思いだした、
十字架にかかったときのイエスさまの言葉。

”主よ、このものたちは何をしているのかわからないのです”
”彼らを許して下さい”

私は、暖かい懐で眠れなかった。
抱きしめてももらえなかった。
大切にもしてもらえなかった。
ひどく虐待された。
性的にもイタズラされた。
母は知らぬふりだった。
先輩に集団暴行を受けた。
警察が自宅に電話しても、体一つ起こさなかった。
私と街で会えば、子供がいるって内緒にしてあるから
絶対来ないでと言った。
私は、自分の夢も希望も剥ぎ取られた。
今尚、そのまま行き続ける母、父。

だから、一度辛い気持ちが噴出すと、止める事の出来ない思いがある。
子供が小さくなかったら、時代がこんなに悪くなかったら
もう2度と、顔なんて見ないで済むのに!!
と叫びたくなった。

でも、イエスさまと同じ祈りが心に沸く。

”何をしているのかわからない、何を言っているのかわからないんです。”

自分が一人じゃない事を思い出す。

”あなたを決して孤児にはしない”

お父さん、辛い、私をつぶさないで、これ以上駄目にしないで。

”私はあなた名をこの手に刻んだ”

”私はあなたを愛している”


お父さん、お父さん。




先日、いつものように、私は仕事が終わってから
母親夫婦の家へいった際、このケンカだった。
家からは車で5分程度。
会社からは車でどちらも40分程度(ラッシュ時ね)


3年間、
アルコール依存症から来る病的考えや症状から抜ける為と、
恨みと憎しみでママを殺さないように(これマジ)
この母親とは、過去丸3年の絶縁期間を設けた。
ま、AAと言う自助グループの提案だったので
可能性に制限があり、教えに無理があり
伝道に神がない場合が多かった。っつ~か神の概念が超適当って言うか。
最初はあれでいいけど、ずっとあれじゃカルトと一緒。

結局教会へ戻ってきた。AAでリハビリしたんだよね。
でもAAしか知らないメンバーは、
AAで全てがまかなえると言う人めちゃ多いから怖いよ。
全てはまかなえないからね。
しかも、ビックブックと言う証(あかし)の本があるんだけど
他人の証本を教典にしてるからめっちゃくちゃ問題。
あたし、4年間真面目に行ってて危うく再飲酒しそうだった。
最初はちゃんと行くといいと思う。
依存症に的をあてているから、成功率が高く
良いリハビリになる。
依存症の人ってリハビリ必要なのね。
リハビリ必要なくらい常識のない心を隠して生きてきてるから。


その後、もうそろそろなんとか出来るかも、と思い母と再会して
この2年間踏ん張ってきましたが。。。。。。。
文句言われつつも、
週に2、3度子供を帰宅先の私のアパートか
児童クラブに迎えに行ってもらっていました。
でも、結局祖母他界事件勃発。(すげ、全部漢字)


だけどね、返事をしてくれなかったっつ~だけで
部屋にこもって激怒してふてくされ
その機嫌を必死に取ってるのに付き合わされて
つい2,3日前まで毎日1,2時にならないと
お風呂も入れないような状態になりながら
子供も学校を遅刻させて
会社も早退したり遅刻したりして皆に助けてもらって
そうやって祖母の面倒見てきた私に
”孫だからあたりまえだって、彼が言ってたもん”
では、もう私がどうこう出来る状態じゃないと悟った。


もう、昔のこととひっくるめて言い争うのは嫌だ。
そして、思う。
神様は、自分が惨めな気持ちで居続けないといけないところを
自分で選択し続けるようには聖書で教えていない。
私とは母はまだ、一緒に居るときではない。
子供を助けてくれる人が居なくなるのは
時代背景からいって不安だけど(帰宅時刻:毎夜19時)
でも、神様が設定した状況なら、神様が守ってくれる。

許したいけど、許せない。
あ~、何年かぶりの言い争いだった。
激しく涙が出た。

”親の事は割り切った”なんて、言う「おばかさん」イッパイいるけど
そんなこと人間にできないからね~、
こっそり笑っちゃうぜ、私。
心に泥を塗りながら生きるのおやめなさい。

神様はあなたを愛しているのだから。
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by eremiya2002 | 2005-04-08 01:21 | 自助グループ | Comments(0)

結局母とはまた絶縁。

みなさんこんばんは、お疲れ様です。
思いはあれども、母子家庭となるとナカナカ時間がないもの、漸く更新する気持ちになりました。
さて、タイトルを見ていただければわかりますが
またもや母と絶縁。決してケンカしてハイ仲良しよ~♪と言うような
くだらない状態ではありませんのでよろしく。

母は去年再婚しましたが、相手の方と日本じゃないところで暮らしたいとかで
2月の後半、忙しい私に、不必要なほど育てた
(といっても飽きればすぐ捨てて新しいのを植えているだけですが)花に
週2~3回の水遣りを頼み、しかもいつ死んでもいいような自分の母
(私には祖母ですね)をおいて2週間海外へ行きました。
何度言っても、”死んだら焼いておいてくれればいいから”
こんな感じでした。

ま、その辺からどんな人物か大枠で想像していただきたい。
健康な人?っていうのかな、そういう人はこういうオバサンのこと、
”若くて自律していてカッコイイおかあさんだよねぇ”と
十中八九言いますので、そういう人のコメントはノーサンキューと言うことで
お願いしますね。

おっと、説明を重ねたいところですが今夜はここまで。
ゼッケン縫いで時間が押してしまいました。
明日から新学期です。

離れた息子も今年は5年生。
こちら、娘は3年生。
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by eremiya2002 | 2005-04-06 00:00 | 私の事(つまり日記デス) | Comments(0)