虎穴に~

虎穴に~ってあります。

ワタシはいつもそう思います。
高見の見物駄目ですよ。
AA(アルコホーリクス・アノニマス)にもいたし、
教会にもいるやっかいな面々ってこういう方々。

人と人ってちゃんと恐れずに話し合えば、祈るべきこともちゃんとわかるし
何が違っていたか、何処に忍耐が必要か、
どこでお互い歯車があわなくなっていたかもわかる。
そりゃー時間を要する場合もあるけど、それは当然の事だか逃げる必要はない。
自分に問題があれば、早めに認めて合理的に改善していく。
その為に、時々膝を突き合わせて本音で語り合うのはとても大切だし
自分が弱く、問題のある人間だと「本当に」自負しているのなら
批判を受け入れる事なんかは本当にとても重要。

黙って言われるままになるのではなくて、そこで何が問われているのかとか
沢山の重要案件がそこにあるわけだから。

そういう事をこなせるようになって初めて大人なんだと思います。
社会生活を円滑に出来るか出来ないかは
こういうところにかかってくると思います。

★☆つづく~~☆★
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by eremiya2002 | 2006-01-28 00:39 | クリスチャンとしての私 | Comments(0)

セルグループで憤る

あ~題名のとおりです。
クリスチャンじゃない方々にはちょっとわからないかも知れません。
とにかく、教会の中で個人的な分かち合いを進める為に
セルグループという小さいグループを作っていますが
ここでワタシは憤りました。3年弱分、憤りをあらわにしました。
ったく、なんでも祈ってます、大変ですね、心配です、愛していますよ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ばぁかの一つ覚えみたいにっ。
だから社会に出てもまれていない人との集いはイヤだ。
全然人対人の会話にならない。

AAでもあったなぁ、そんなこと。まあ、あそこはセル以下だから
話にならないにしても、
おいおい会話しろよ、ディスカッションしろよ
形を優先させてお口を使ってない事がなんでわからないの。
仕事とは違うっていったってあ~た、
んじゃ、クリスチャンはいのってりゃいいっていうのかよ。
まったく、それで済むなら、お互い何の会話も必要ないでしょって。

は~忙しい毎日を過ごしています。

あっ、そだ、、、psalm42さん、お誕生日カード有難うございました!
実はさっき気がついたのです。嬉しかった・・・・
祈りの課題も愚痴も結構あります。
ただ、文章を打ってる時間がとれなくて(ガクン)
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by eremiya2002 | 2006-01-19 00:01 | クリスチャンとしての私 | Comments(10)

離婚した当時

離婚して今の街に住むようになったのが、今から約9年前。
正しくは、「離婚の決着がつかずとりあえず別居」で来た。
離婚が決着つくまでの”1年の歩み”っていうのは、本当に大変だった。

今住んでいる街は、故郷ではない。
私が20で逃げるようにお嫁に行ってまもなく、両親も離婚し
その両親がバラバラに住居を構えた為、
別居で生活費ももらえず、とりあえず寝床を確保しなくてはならない私は
一緒に居てもゼッタイに”虚しい”とわかっていた母親を頼りに、子連れで帰って来た。

本当は・・・・・2人の子供は、初めは夫の実家に連れて行かれていたので
唇をかみしめ、置いて出てきていた。
離婚劇のせいで、とにかく夫と夫の家族には、
私を出て行かせないタメだったのだろう、
子供をネタに、結構屈辱的な扱いをしていただいた。
田舎の家には離婚は恥、恥をかかせる人間には、まして嫁などに
侮辱されたままでなるものか、そういう感じだった。

その後、バタバタしたが結局正式に別居となることが現実となる事が
漸く夫もわかったのか、そのタイミングで子供二人は連れてきた。


でも、私は恐ろしく不安だった。

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by eremiya2002 | 2006-01-09 22:30 | 離婚 | Comments(6)

「イエスを救い主として受け入れる」って 一体なによ!?

新年初ブログです。今年も宜しくおねがいします!!
(いちお喪中なので控えめに)

さて、「イエスを救い主として受け入れる。」

ちょっとでも教会に近づくと、必ずこのコトバを言われると思います。
でもこの表現って、結果としての話で、具体的になんのコトやら
さっぱりわからないんじゃないかと思います。
今日はこの事について、ワタクシeremiyaなりにお話をしたいと思います。
なにせ、新春ですんでw

さて
今まさに困難に直面している時や、忙しいとき、苦痛を伴っているとき
うつ病に見舞われてパニック発作なんか併発して引きこもっている時など、
こんな的外れなコトバをかけらることほど、
苦痛と言うかめんどっち~ことはナイ、と経験上思います。

少なくとも、私は思いました。

「いい加減にしろ、ウザイ。今聞きたいのは、そんな事じゃない。」

人間は、疲れて苛立ち、混乱していれば、早い解決を求めます。
それなのに、思いっきり違う方向で攻め込まれると、
疲れる心も更に萎える、という感じでした。

つまり、その瞬間、困った事からは解放されたいけど、
面倒な話や、即効性の無いものに忍耐するつもりにはならない。
そして知らないうちに、
「自分の気に入った解決方法を提示してもらうように願って」
いて、お気に入りが入っていないと
「つまんねぇ、ムカツク」
となってしまうんです。

★☆つづき☆★
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by eremiya2002 | 2006-01-02 16:06 | クリスチャンとしての私 | Comments(10)