<   2009年 01月 ( 2 )   > この月の画像一覧

私は友を失った。

2009年となり、

いつものように年賀状が誰から送られてきているかチェックする。
今年、私の家で買って投函した年賀状は110通ほど。
もちろん、子供とあわせてだけれども、殆どは私の年賀状。

思い出せば10年前、私はアルコール依存症と診断されていた。
12月だった。
アルコール依存症と言う病気は、小さな精神病の数々を取り込んで
最終的に行き着く場所で、増えるとしたら同じ依存症をプラスするくらい。

もっと昔を思い出すと
ケンカして元気がいい子供、と言うような、シンプルで思い出し易い、懐かしい思い出はなく、
性格が捻じ曲がっているので、大人にも子供にも不快感を与える人間だった。
発する言葉、態度、行動、全てが人をいらだたせ、感じたことも無いような不快感を与え、
出来ればお付き合いしたくないと思わせる人間だった。

それは、「愛」の無い家庭で生き抜いていたから、と言う事が
簡単ではあるが全ての原因だった。親となって、愛とは命だと実感する。
でも、原因がわかるからと言って過去に戻って人生をやり直すことは出来ない。

20代の殆どを病気の治療に使い、
また、自分の子供を施設に入れるか入れないかの瀬戸際で育ててきた。

私は、その20代を得て今があるのだが、
徹底的な治療と、宗教的な教育により、過去の人間性とは全く成長した人格を
自分でも知らないうちに持つようになった。

だから、小学生の時には友人もいなくて、
後半の3年間、クラス全員に無視されると言うイジメの対象になっていた私のような人間でも、
年賀状なんてクダラネエ、とずっと思っていた人生を超えて、
今は100通近い年賀状を出し合う関係を自分の人生の中に築き上げている。

いわゆる、一般的な人間になれたのだ。

でも、人生かわり、人格も成長したが、それを信じる事が出来ず
私を避け、私を切る旧友もいる。

それは私にとって、痛い経験であり、出来ればそんな事ないといいのにと思う現実。

年賀状に、10数年、親友と思い関係を深めてきたと思った親友”だった”人の姉から
年賀状が届くいて、彼女が結婚し、出産した事を報告があった。
何日も、その事で私は心を痛めてしまった。
確かに、ちょっとした事で彼女と連絡を切ってから丸6年くらいになるかも知れない。

長い時間、多くの事を共にしたのに、結婚も出産も決して私には報告してくれない
昔の友達。
そして、人として埋め合わせしたくても、成長を信じてくれない人たちが
私には沢山いる。

健常な人のように、長年親交がある友人と言うのは、私にはもうない。
ただ、”信仰”を持つ事で、生涯の友「イエス・キリスト」と言う方を知った。
この方は、私が悔い改め、新しく愛に根ざした事を完全に知っていてくださる
私の心友。

そんな事を思い、目をつぶって涙した今年の始まり。
[PR]

by eremiya2002 | 2009-01-11 16:20 | 私の事(つまり日記デス)

パレスチナ

1947年11月29日、国連総会は、
パレスチナの土地の土地の
半分以上をユダヤ国家、
残りをアラブ国家するという
国連決議181号、
いわゆる「パレスチナ分割決議」を可決した。


アラブ連盟は、それに反発し、
1948年2月、
ユダヤ人国家の建国の阻止を決議した。

1948年3月、
アメリカは国連で分割案の支持を撤回する。


そして、1948年4月9日…。


金曜日の早朝、5時前、
100人以上の武装した者たちがやって来て、
そのパレスチナ人の住む村
デイル・ヤシーン(Deir Yasin)を取り囲んだ。


武装団は、村人に対し、
即刻、村を明け渡すように命令した。

村人たちは、それを拒否し、
村の男たちは、銃を持ち出し、村を守ろうとした。


やがて、武装集団と村との間で、
激しい銃撃戦が繰り広げられた。


だが、すぐに、村は、武装集団に屈服した。

武装集団は、村の中に押し入ると、
報復のため、
村人を家から引きずり出し、壁に並べ、
銃や手榴弾を浴びせて殺していった。


その数は100人以上にも上り、
その半数は、
妊婦を含む女性や子どもたちであった。



この武装集団は、
いくつかのユダヤ人の裏組織で、
その1つの組織「イルグン (Irgun)」のリーダーは、
後に建国されるイスラエルの首相、
メナヘム・ベギンだ。


その後、ユダヤの武装組織は、
パレスチナの村々に対し、
「もし、家を離れなければ、
 デイル・ヤシーンのようになる」と、
ふれ回り、そして、その通り実行した。


1948年5月14日、
ユダヤ人は「イスラエル」の独立を宣言し、
それに反発するアラブ諸国との戦争に勝ち、
国連の「パレスチナ分割決議」よりも、
さらに多い領土を「勝手に」獲得する。


この間に、
2000人以上のパレスチナ人が虐殺され、
70万人以上が住む土地を追われ、難民となった。

国連が最初に本格的に取り組む難民、
パレスチナ難民の始まりだ。



当初、国際社会は、
パレスチナの難民たちに、
すぐに自分たちの土地に戻れるようにすると約束し、
国連は、彼らを、支援するため、
「暫定的な組織として」
国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)を設立した。


それから、60年、
UNRWAは、何度も、その期限を延長し続け、
パレスチナ難民は、
4世代、440万人以上にもなっている。



1990年代、後半、
ノルウェーの仲介などにより、
イスラエルとパレスチナは、
合意により土地を分割し、
そして、2000年には、
「パレスチナ」国家成立…一歩手前まで行った。

あらゆる物を奪われてきたパレスチナの人たちが、
「イスラエル」を認め、
残りの土地で「パレスチナ」を建国する決心をした。


パレスチナの人たちにとって、
これ以上、譲ることがあるだろうか!


あと残るは、
「イスラエル」と「パレスチナ」が、
どちらも「首都」として求めている
「エルサレム」をどうするかという
という問題だけだった。

「エルサレム」は、
ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の聖地だ。


国際社会、パレスチナ、
そして、ほとんどイスラエルも、
「エルサレム」を分割して統治…
…という流れになってきた。

そして、それは、現実的な解決策にみえた。

なぜなら、現在、エルサレムは、
ユダヤ教徒、イスラム教徒、キリスト教徒などが、
それぞれ、うまく住み分けて暮らしているからだ。



だが、そんな大事な最終段階の、
2000年9月28日、
当時、イスラエルの野党リクード党首シャロンが、
武装兵を連れて、
パレスチナ・イスラム教の聖地に押し入った。


ぎりぎりの譲歩をしてきたパレスチナの人々は、
耐えきれずに怒りの声を上げた。

特に、若者、子どもたちは、
怒りを抑えられず、
イスラエルに立ち向かっていった。

…と、言っても、その武器は、
ただの「石ころ」だ。

子どもたちは、「石ころ」を投げて、
イスラエルに立ち向かっていった。
(第2次インティファーダ)


そんなパレスチナの子どもたちに対して、
イスラエルは、完全武装した兵士と、
装甲車で応戦した。



その後、シャロンは、イスラエルの首相となり、
パレスチナの独立など、
まるで無かったかのように消え去った。


今、イスラエルは、
パレスチナ人の土地の周りを、
高い壁で囲い、
パレスチナ人を、
経済的に、肉体的に、
そして、精神的に追いつめている。


そして、2008年の暮れ、
世界がクリスマスだ、新年だと言っている間に、
パレスチナのガザ地域を封鎖、
空や地上から攻撃を開始した。


イスラエルは、ガザ地区から、
ジャーナリストなどを完全に閉め出し、
食糧品や医療物資の持ち込みも妨害し、
逃げ場のない高い塀に閉じこめられた人々を、
殺している。

攻撃は、毎日続いていて、
今日1月6日現在で、パレスチナ人、
数千人が負傷し、
500人以上が死亡している。


イスラエルが、地上部隊の投入を開始した、
1月4日、日曜日からの1日だけでも、
26人の子どもたちが殺された。



BBCやCNNなど、世界のメディアは、
今、リアルタイムで、イスラエルの攻撃を伝えている。

ガザの中から、インターネットで、
状況を伝える人々もいる。



今、わたしたちが、目にしているのは、
ナチスドイツが、
ユダヤ人を隔離したゲットーであり、

ナチスがユダヤ人を殺した
ホロコースト、そのものだ。


今、世界は…
…わたしたちは、リアルタイムで、
虐殺、ジェノサイドを、目の当たりにしている。



アメリカ・ブッシュ政権は、
この事態について、
停戦を破ったパレスチナ組織ハマスに、
全責任があると言った。


でも、本当にそうなのか?

あらゆる物を奪われてきたパレスチナ人に、
これ以上、何を要求できるのだろうか?



間違いなく、すべての責任は、
まず、第1に、イスラエル。

そして、2番目に、
「すぐに解決する」と、
パレスチナ人たちに約束しておきながら、
60年間、放置し続けてきた、
国際社会にある。




2000年、「独立」の一歩手前、
わたしが、パレスチナを訪れたとき、
パレスチナの人たちは、
完全には納得していなかったものの、
それでも、「パレスチナ」という国が出来ることに、
みんな希望を持っていた。

わたしは、彼らに、
パレスチナが独立した日に、
「わたしも一緒に、
『おめでとう!』って、パレスチナの国旗を振るよ」…
…そう、約束し、笑いあった。


だが、その約束は、未だに果たせていない。


そして、今、殺されている人たちにとっては、
そんな未来も、どんな希望も、
もう、なんの意味などない。

----------------

みなさん、あけましておめでとうございます。
コメントもせず、先に投稿してしまう事をお許し下さい。

時間を取って、落ち着いた時にコメントさせていただきます。
今年も宜しくお願いします。

By ere
[PR]

by eremiya2002 | 2009-01-06 22:16 | 最近の世情・事件